戦国武将・細川幽斎の「隠居城」、関ケ原の前哨戦で50日以上の籠城に耐えた「秘密」が明らかに
今年5月から城跡の一部約400平方メートルを調査。三方を石垣に囲まれていたとされる一角で、間口の幅約6メートルの整地面を確認した。東側の石垣は堀と直角に城内へ続いており、虎口の入り口とみられるという。
虎口とは城に攻め入る軍勢をとどめる区画で、1600年(慶長5年)の籠城戦の様子を描いた「田辺籠城図」(大泉寺所蔵)には、堀に面した入り口の先に三方を石垣で囲った虎口が描かれている。
市によると、幽斎は1581年(天正9年)頃に田辺城の築城に着手。91年(同19年)頃に完成させた。市文化振興課は「文献で断片的にしかわからなかった幽斎の城の構造が具体的に明らかになった」としている。
市は15日午後1時半から、現地説明会を開く。問い合わせは同課(0773・66・1019)。