「ねねの生き方伝えたい」 高台寺が「小方丈」の再建目指しCF
◇伏見城から移築、江戸中期に焼失
1606年創建の高台寺には、秀吉が築いた伏見城からの移築と伝わる桃山時代の茶室などが現存し、重要文化財に指定されている。
高台寺によると、小方丈は元々、伏見城内で秀吉とねねが武将を慰労するための「宴会場」として建てられた。移築後は歌会や茶会といったねねの文化サロンになったと推測されているが、1789年に焼失した。
ねねの住まいがあった塔頭(たっちゅう)・円徳院の元住職で、400年遠忌実行委員長を務める後藤典生さん(75)は「優しくユーモアがあり、皆に慕われたねねの生き方を伝えたい」と2003年に小方丈の姿を調査研究する有識者の会を設立し、検討を重ねてきた。
寺の古い絵図によると、創建当初の小方丈は、東西が13間(約23・4メートル)、南北が9間半(約17・1メートル)。18年までに市埋蔵文化財研究所が行った発掘調査で、基壇の一部などの遺構が確認された。大正時代に建てられた現在の方丈の北側だ。
◇豪華な桃山文化再現へ
現在は創建時と同じ規模で建てるだけの敷地がなく、東西18メートル、南北13・5メートルと、やや小さめに設計した。高さは10メートルで、現方丈とそろえる。
主任設計者の1級建築士、山田雅巳さん(63)=大津市=によると、内外観の再現は古文書の記述からは難しく、桃山時代の典型的な書院造りを採用した。屋根は、檜皮(ひわだ)やこけらぶきをイメージした銅板ぶきとし、現行の建築基準を満たすため、表面に出ない場所で耐震補強の金具なども使う。
内部は、折り上げ格(ごう)天井の「上段の間」など6室から成り、50面超の豪華な金箔(きんぱく)地の障壁画で彩る。上段の間は「白菊の図」、一の間は「春草花図」といった古文書の記述を基に、日本画家の志村正さん(74)=京都市東山区=が今後2年かけて描き、きらびやかな桃山文化を再現する。
◇2年後の完工目指しCF
25年9月の完工、同11月からの一般公開を目指す。事業費は8億円を見込み、CFサイト「READYFOR」で6月23日まで寄付を募っている。
既に22年4月から遺構の保護や基礎工事を行い、棟上げは今秋の予定。後藤さんは「文化財ではないことを生かし、一般公開後はさまざまな用途での利用も進めたい」と話している。