吉野ヶ里遺跡「謎のエリア」解明に期待…「邪馬台国時代の有力者の墓」顔料・線刻の分析で
国内最大規模の弥生時代の環濠集落で知られる吉野ヶ里遺跡は34年前、古代史最大の謎である「邪馬台国」を想起させるとして一躍ブームになった。しかし、邪馬台国が存在した弥生時代後期後半(2世紀後半~3世紀中頃)の有力者の墓が見つかっておらず、今回出土した石棺墓に期待が高まった。
6月5日から14日まで断続的に行われた石棺墓内部の調査で、期待された中国鏡などの副葬品や人骨は出なかったが、石棺内に広く塗られた赤色顔料などから、佐賀県は「ランクは不明だが邪馬台国時代の有力者の墓」と結論づけた。
今後の成分分析が待たれる赤色顔料は、主に酸化鉄によるベンガラと硫化水銀による朱の2種類がある。朱の方が産地が限られるなど入手が難しく、より限られた立場の被葬者に使われると考えられる。また、朱は硫黄の同位体分析によって国産か中国産かがわかり、ベンガラも粒子の構造によって製造法や産地を絞り込むことができる。九州国立博物館(福岡県太宰府市)の志賀智史保存修復室長は「分析によって、当時の赤色顔料の流通経路の実態解明につながれば」と期待を寄せる。
赤色顔料は、北部九州の墳墓では主に弥生時代から古墳時代にかけて使われている。吉野ヶ里では、弥生時代中期の王墓とされる北墳丘墓などの甕棺や、石棺墓4基でも確認されている。
石棺墓の分厚い石蓋3枚にあった不思議な線刻にも関心が集まった。長短様々な直線が不規則に交わって多数の「×」や「≠」が描かれていた。石蓋は1枚の重さが100キロ以上で幅が最大65センチ、厚さ同17センチ。線刻は2枚が表面に、1枚は裏面に施されていた。県は6日、3枚が元は1枚の石で、線刻を描いた上で分割されたものと発表した。