ヨーロッパを擬人化した地図「ヨーロッパ女王」はなぜ500年前に人気となったのか
ヨーロッパをひとつの存在として表現したプッチの美しい地図は、強力なメッセージを発信していた。当時、ヨーロッパ最強の軍事力を保持していたのは、スペインと、ドイツの神聖ローマ帝国の中心であったハプスブルク家だ。プッチが表現した「ひとつのヨーロッパ」というテーマにおいて、中核的な役割を果たしていたのが、このハプスブルク家だった。
プッチの地図には、ラテン語の詩が添えられている。その詩では、「ヨーロッパ女王」が神聖ローマ皇帝およびスペイン国王であるカール5世と、その弟であるオーストリアの君主フェルディナント1世に直接語りかける形で、ヨーロッパの団結を訴えている。ちなみに、プッチが仕えていたのはフェルディナント1世の宮廷だ。
この女王は彼らを「世界でもっとも輝かしい2つの星」と呼び、イタリアで起きている戦争と、プロテスタントとカトリックとの間で起きている戦争を終わらせるよう懇願する。また、東にオスマン帝国の脅威が迫る中、ヨーロッパの安全は「忠実で強大な」ハプスブルク家のドイツ(心臓の位置)とスペイン(頭)にかかっていると話す。
1542年に若くして亡くなったプッチの経歴については、ほとんど何もわかっていない。しかし、彼の作品は生き続け、のちに鮮やかさを増して洗練された改訂版の地図が作られるようになった。彼の地図が種をまいた「ひとつのヨーロッパ」というアイデアは、その後何世紀にもわたって実際に繰り返し試され、現在の欧州連合という形で実を結んだと言えるのかもしれない。
また、彼の地図をきっかけとして、国を動物や植物に見立てたものなど、活発に地図が作られるようになった。16世紀後半から17世紀にかけては、オランダをほえるライオンに見立てたり、ボヘミアをバラに見立てたりして表現した地図が人気を集めた。