WORLD REPORT「台南」:重層的な歴史とアイデンティティ。アートを通して共存を目指す芸術祭
「名を奪われると、帰り道がわからなくなる」。この度、台湾南部の台南市で始まった麻豆大地トリエンナーレの「曾文溪の千個のなまえ」という主題を知ったとき、映画『千と千尋の神隠し』(宮崎駿監督)に登場する擬人化された川の神のせりふを連想した。「名前」は台湾において、ここ30年とりわけ重要視されてきた事柄である。第2次世界大戦が終わって日本が去った後、中国国民党の一党独裁体制のもと台湾のすべての場所は「中華民国」の歴史観を反映した名称に改まった。そこで1987年の戒厳令解除の頃から民主化が進むとともに、原住民族の「正名運動(*1)」をはじめ、度重なる植民統治を超えて台湾という土地に主体的に関わり、権利とアイデンティティを確立するため手始めに実施されたのが「改称」である。国民党以外から初の中華民国総統となった陳水扁は、とくにこれに力を入れ、蒋介石を讃える意味を持つ空港や道路、広場の名称を再び改めた。
台南市では、2024年に迎える「建城400年」を前に、オランダ統治時代の城址を「安平古堡」から建城当時の「熱蘭遮城(ゼーランディア城)」に改称した。台南はとくに「台湾意識」が強いといわれる土地柄で、今回のアートトリエンナーレが地元最大の河川の名に焦点を当てたことは、台湾における「名前」と「アイデンティティ」をめぐる経緯を考えるうえでも非常に興味深い。
「共同体」の在り方を探る
芸術祭では、日本統治時代の製糖工場跡地をリノベーションした「総爺アートセンター」をはじめ、3つの主要会場や国道沿いの旧鉄道橋跡などでの9つのプロジェクトに合わせ約60件の作品が展示されたほか、100回に及ぶワークショップも行われた。このなかには地方自治体や水利局の職員、企業、農民など曾文渓の異なるステークホルダーが各自「苔」「動物」「洪水」「堆積土」「ダム」といった非人類の視点から、曾文渓をひとつの「共同体」と目して話し合いを行った「万物会議」も含まれる。これは哲学者/社会学者のブリュノ・ラトゥールが2020年の台北ビエンナーレをキュレーションした際に提示した「クリティカル・ゾーン」を、美術館の外で実践しようとする試みでもある。
3年の準備期間に、統括キュレーターである龔卓軍(ゴン・ジョジュン)が全長138.47キロに及ぶ曾文渓の「踏査」によるリサーチを行ったことは注目に値する。国立台南芸術大学の教授でフランス現代哲学の博士でもある龔は台南で生まれ曾文渓を身近に育ったが、河川の源流を辿る踏査を通じ、いかに曾文渓について知らなかったかに気づいたという。原住民族ツォウの猟師の案内で上流のフィールドワークを重ねたキュレーターチームは、消失の危機に瀕するツォウ族の言葉や生活の知恵、伝統的な技能にふれ、彼らが非常に優れた森林や生態の観察者であること、台湾社会の中心にいる漢民族とはまったく異なる環境保護に対する考え方があることを学んだ。ニュージーランドでは2017年に、先住民族マオリの崇拝する河川の「法的人格」が世界で初めて認められた。こうした近代社会で周辺化された人々の視点や尊厳を見直し、環境問題に向き合う動きは、世界的潮流でもあるだろう。
河川が持つ歴史と問題
嘉義県に源流を持ち台南市から海に出る曾文渓は、大まかに3つのエリアに分けられる。台湾中央山脈の阿里山に連なる上流はツォウ族の伝統領域であり、戦後につくられた台湾最大の「曽文ダム」をはじめいくつもの水利施設を抱える。そこから中流の平埔原住民族(平埔は平地に暮らすの意)のシラヤ族やタイボアン族の文化が残る古い農村集落を経て、下流には魚の養殖場や市街地とともに、台湾経済ひいては世界のハイテク産業を支える半導体工場が集まる。
曾文渓は日本との関わりも深い。日本の米不足を解消するため食糧庫の役割があった植民地時代の台湾において、現地の教科書にも載る八田與一らが建設した嘉南大圳や烏山頭ダムは曾文渓を水源とし、米や甘蔗の生産量を大きく飛躍させた。また砂糖や米を運ぶために整備された鉄道は、現在の産業インフラの基礎となっている。芸術祭のメインヴィジュアルも、パノラマ俯瞰図の第一人者である吉田初三郎の弟子で、台湾各地の俯瞰地図を残した日本統治時代の絵師・金子常光の作品のスタイルを模しており、一本の河川に堆積した重層的な歴史を俯瞰し多様なアイデンティティが共存する「共同体」として読み直そうとする意欲が表れている。
踏査によって、流域の各集落において曾文渓は一本の河川と見なされておらず、「曾文渓」の名では呼ばれてこなかったことが浮かび上がった。例えば、ツォウ族は流域のポイントに応じて「yamoezunge(イチジクのたくさん実る地)」「hiouana(虹の地)」「nsoana(獣の泉)」「kualians(フクロウの地)」「yatisau(伝染病侵入を防ぐ結界)」などと呼び、最終的に確認された呼称は千を上回った。「曾文溪の千個のなまえ」というテーマのゆえんだが、これは共同体ごとに河川との関わりが多様かつ異なる記憶や問題を孕むことを示す。河川は多くの文化を育み暮らしを潤す反面、絶えず洪水や氾濫と土砂の堆積を繰り返してきた。近年では2009年のモーラコット台風による「八八水害」をはじめ、台風で削られた山林の土砂は流域およびダムに堆積し、貯水能力を奪っている。またここ数年、降雨パターンが不安定化している台湾中南部では渇水が起こりやすく、チップの洗浄に大量の水を使う半導体産業が優先され、農地への灌漑(かんがい)が一時的に停止されるなどの問題もあらわになった。
治水の努力が地域環境を破壊している現状もある。アーティスト・沈昭良(シェン・ジャオリャン)の共同キュレーションによる「潜行撮影プロジェクト」では、14名の写真家が曾文渓の様々な姿をドローンや踏査によって写真に収めた。陳伯義(チェン・ポーイー)の「地質紀念碑」シリーズは、記録的な渇水が起こった2021年に上流の大型砂防ダム5基を撮影したものだが、荒ぶる自然の中で経年変化した巨大な怪物のようなその人工物は、侘びた美しささえ醸し出している。いっぽうで、ツォウ族の猟師は、こうした砂防ダムが魚や動物の往来を阻んで生態系を壊すのみならず、堰き止めた土砂が左右の岸に堆積し絶えず浸食して山壁の崩壊が進んでいると指摘する。砂防ダムのデメリットや治水のより良い在り方もまた、世界的に議論が高まっている事柄でもある。
台湾デジタル担当相のオードリー・タンに以前インタビューした際、彼女が取り組むオープン・ガバメントとは政策の影響を受けるすべての当事者が政策決定の過程に参加できるプラットフォームであり、それを実現するのが「ソーシャル・イノベーション」だという話が印象的であった。オードリーが使うコミュニケーション・ツールが「デジタル」ならば、龔が取り組むのはアートを通した「ソーシャル・イノベーション」であろう。しかも龔のアートにおける当事者には「非人類」「非生物」も含まれる。これはアートが本来的に「何かに憑依し、その視点から世界を見つめる」行為であることを示唆する。複雑なエスニシティと植民統治の歴史を持つ台湾において「自分は何者で、どこから来てどこに行くのか」の命題が指し示すものは、名前を通して自己の存在の内部にある多様性に気づき、複雑なアイデンティティを持って複雑な問題に対処していくための実践にほかならないことに、深く思い至った芸術祭である。
*1──台湾の先住民族は、度重なる植民支配や外来移民による統治のなかで「蕃人/番人/高砂族/山地同胞」などと呼ばれ、それは差別や偏見を含むものであった。「正名運動」は、当事者たちが自らの呼称と決めた「台湾原住民族」と憲法に明記すること、また漢化された氏名をもとの民族名で戸籍登録できることなどを要求し、先住民としての尊厳を取り戻すためのものである。
(『美術手帖』2023年4月号、「WORLD REPORT」より)