【書評】背筋が震える恐ろしさと、心に残る優しさと:川上未映子著『黄色い家』
著者初のノワール(暗黒)小説の舞台は、21世紀前夜の東京。何も持たずに家を飛び出した10代の少女が、生活の糧を失って、生き残るため、そして、初めて得た自分の大事な“家族”を守るために選んだ手段は犯罪だった。疾走、そして破滅の先に待ち受けていたものは――。
芥川賞作家、川上未映子の最新作『黄色い家』には、のっけから不穏な空気が漂う。
きっかけは、40歳の「わたし」が、偶然ネットで見つけた名前。傷害、脅迫、逮捕監禁の罪に問われているその女は、かつて「わたし」が、数年間を共に暮らした相手だった。
そこから話は一気に走り出す。
「わたし」の記憶をさかのぼるように舞台は昭和へとタイムスリップし、読者は、酒とたばこのにおいが漂う夜の東京に放り出される。
シングルマザーの家庭に育ち、1人暮らしをするために一生懸命貯めたアルバイト代を母親の元彼氏に盗まれて絶望した「わたし」は、家出して、母の友人でもあった女――黄美子さんと生活することを選ぶ。
ふたりが三軒茶屋で始めたスナックの名は「れもん」。
「わたし」と黄美子さんの暮らしに、キャバクラで働いていた少女・蘭が登場し、裕福な家庭を飛び出してきた少女・桃子も加わる。
それまで孤独だった「わたし」の周りはいつしか笑い声があふれ、まるで家族のように、4人は一つ屋根の下で仲良く暮らすようになるのだが……。
ある夜、突然の火事で「れもん」が焼失したところから、物語の気配が変わる。
収入源を失い、手元にあるのは自宅の屋根裏の缶に隠したわずかな現金だけ。生活能力に乏しい黄美子と、保険証など身分証を何もかも置いて家出してきた「わたし」では、銀行口座を作ることも、新しい店舗を借りることも、安定した職業を見つけることもできない。
必死に稼ぐ手段を模索する「わたし」に比べ、蘭と桃子はその状況を見て見ぬふりをしているのか、職探しにさほど真剣になる様子もなくダラダラと日々を過ごしている。
どう考えても八方塞がりの状況を、川上未映子という小説家は、幾多の伏線を忍ばせながら、目の離せない極上のエンターテインメントに仕立て上げる。
「家族」を見つけたはずの、「わたし」の幸せはかなうのか。
黄美子さんの本心は何なのか。
そして4人の暮らしは、どこにたどり着くのか――。
どんどんヤバい道に進む「わたし」を止めたいのに、本のこちら側からは止められないもどかしさが、どこまで堕ちていくのか見届けたい欲望へと変わっていく。
他人の不幸は蜜の味。まるで川上劇場だ。