劉建華展「中空を注ぐ」で追う、磁器を媒体とした中国人芸術家の創作と思考
十和田市現代美術館で開幕した。
古くから陶磁器の生産地として有名である江西省景徳鎮で育った劉は、彫刻を大学で学ぶ前に、磁器工房で職人として働いていた。制作初期の頃からは、磁器の用途やかたちを解体しながら、中国における経済や社会の変化、それに伴う問題をテーマにした作品を制作している。
美術館前の官庁街通りには、劉によるふたつの大きな枕の作品《痕跡》(2010)が同館の常設作品として置かれている。美術館館長の鷲田めるろは開幕前の記者会見で、同館では年1回常設作家の個展を行っており、それによって「常設作品のことをより良く知ってもらいたい」と本展開催の意図について説明している。
今回の企画展では、劉が2001年から22まで約20年間で制作した6つの磁器による作品を展示しており、作家の創作活動の軌跡や変遷をたどる。
最初の展示室では、本展の中核をなす作品にも言える《遺棄》(2001-15)と、昨年上海復星芸術センターでの個展に際して発表された新作《塔器》(2021-22)が大きな存在感を放つ。床一面を埋め尽くす《遺棄》は、テレビや靴、ペットボトル、タイヤなど様々な日用品をかたどった磁器が打ち棄てられ散らばっている。表面は硬いが、じつは壊れやすい磁器の脆さが日常生活の儚さを示し、現代社会の廃墟のようにも見える作品だ。
磁器の破片のなかに佇む《塔器》は、白い「塔」に取り付けられた棚に「器」が並べられているもの。劉にとって、古くから仏教文化において舎利を納める場所である塔は「精神の継承」であり、口の部分が塞がれ中身が空洞になっている器は「空間の創造」だという。今回の展覧会ではこれらの作品2点が初めて同じ空間に展示されており、現実=実と精神=虚の関係性が一層強化されている。
「実と虚」も本展のキーワードのひとつになっている。続く廊下の壁面で連なっているオブジェからなる《水中投影》(2002-03)は、急速な経済発展を遂げた中国の都市にある高層ビル群を表現した作品。しかし近くで見ると、建物群は水に反射したように歪んでおり、本来のかたちを保てずすぐに崩れていきそうだ。さらに、天井から降り注ぐ照明は建物の影を壁に落とし、その影が水面に反射している倒影にも見える(ただし、展示空間の天井高の制限により、投影は十分に引き伸ばされていないと劉は言う)。
隣の展示室で展示されている《儚い日常》(2001-03)は、磁器でつくられた枕が暗い空間に浮遊するような作品。枕のうえに骸骨の頭部が置かれており、死や人間の脆弱を思わせる。また、この作品を後ろから見ると、骸骨が《水中投影》の建物群を注視するように見え、現代社会の問題について考えることを促すという意図も込められている。
最後の展示室は、「白紙」と「墨汁」の作品によって構成されている。壁に墨汁が天井から流れ落ちてくるよう見える《兆候》(2011)は、雨が壁につたった痕跡を意味する「屋漏痕」という唐の時代から続く用筆法を参照したもの。つくり手の様々な情緒が込められた個々の「墨汁」を拡張させて展示することで、白い紙を彷彿とさせる展示室の壁に何かしらを書くようにとらえることもできる。
いっぽうの《白紙》(2008-19)は、文字通り白紙を磁器で再現した作品だ。制作過程において磁器の縮む特性を生かしたこの作品は、1点1点手捻りでつくられるため、かたちの歪みも異なる。劉によれば、この作品はそれを磨く制作者の毎日の気分を反映しており、時間の経過を目に見えないかたちで書き込んでいる。作品と向き合うとき、鑑賞者は「心で書く」ことになるという。
13年ぶりに十和田を訪れたという劉。彼がこの街に抱いた印象は、とても静かだというものだった。2010年に常設作品《痕跡》を制作する際には、人々が憩い、思いを馳せることができるような作品をつくりたかったという。
今回の展覧会では、中国の伝統的な思想や文化から、現代中国の都市化問題への考察、そして人々の内面世界の探求までなど、劉の創造的思考の全体像をより詳しく紹介することができた。磁器とも縁の深い日本で本展を開催するにあたり劉は、「人間に共通するものを提示したい」と話す。「『磁器』という素材に好奇心を持ち、ひとりの中国人アーティストの芸術的発展の軌跡とその創作の背後にある哲学を理解してもらえることを願っている」。