台湾原住民との日本統治時代の記録と記憶が時空を超え、台湾を旅する私たちの前に鮮やかに甦る
人気の旅行先「台湾」の過去と現在が交錯する芥川賞作家高山羽根子さん渾身の近刊『パレードのシステム』。新聞・雑誌、書評で数多く取り上げられ注目されています。そんな中から気鋭の評論家佐藤康智さんが「群像」4月号に寄せた書評を転載して紹介します。
----------
美術家である「私」は、故郷の母から、母方の祖父の訃報を受ける。死因が自死だったこともあり、葬式は人を呼ばず、母と叔母(母の異母妹)のみで済ませるとのことだったが、「私」は久々に東京から帰郷し、半ば無理を言うかたちで葬式後の祖父宅に顔を出す。遺品整理をきっかけに、祖父が日本統治時代の台湾生まれであったことを知る。けれど、祖父の若い頃を詳しく知る親族はいなかった。
古い写真や、判読できない文字の記された絵ハガキなど、祖父の過去を探る糸口となりそうな遺品を譲り受けた「私」は、それらを元バイト仲間で台湾出身の梅さんに見てもらう。梅さんによれば、祖父が暮らしていた台湾の住所は、都市でなく山の方で、梅さんの故郷にも近いという。
しばらくして梅さんから、画家だった父の葬式で帰郷することになったが、あなたもいっしょに来ませんかという誘いのメールが届く。「私は、梅さんのお父さんのお葬式に参加するために、台湾に行くことにした」─。
ここまでが前半のあらすじだ。
祖父の出生の秘密が本筋となりそうな展開ではある。しかしながら「私」は、祖父の足跡というよりも、梅さんの父が画家だったことに興味を覚えて台湾旅を決意している。ルーツ探しへの関心はどうも薄い。それとは別の何かに「私」は背中を押されているようにも見える。その正体が後半、台北観光を経て台中にある梅さんの実家に行きつく道行、葬儀の場にて目の当りにする恐るべき幻影を通し、じわじわと浮かび上がってくる。
それをじわじわ追って読むのが、この小説の面白味だと思う。とはいえ、書評するに欠かせないくだりゆえ、以降はキモの部分にも触れる(本作を未読の方はご注意を)。