燃え殻『それでも日々はつづくから』に感じた「マウントなんか取ってたまるか」という意思と意志
ひと晩で読了してしまった。
本を読むのはかなり苦手なほうなので、異例。というか、人生初かもしれない。
燃え殻さん(と、つい呼びたくなる)が週刊誌で連載していることは知っていたが、一度も読んだことがなかった。だから、どの回にも新鮮な気持ちで接した。
連載開始当初は、少し硬い。というか、かしこまっている。それが回を追うごとに、ほぐれていく。読んでいると、どんどん燃え殻さんとお近づきになっていくような感覚が生まれ、その一方的な親近感が心地よく、最後まで読んでしまった感じ。2軒目、三軒目まで、話のおもしろい人と飲んだ。そんな一夜に似ている。
完成度をあえて高くしない完成度というものが燃え殻さんの文章にはあって、それは読み手のことを考えているからなのだと思う。完成度の高い、超然とした文章は疲れる。説教されている気分にもなる。すごいけど、めんどくさくなる。
緻密な構成を感じる文章もあるが、「どうだ!」感は皆無。それは、燃え殻さんが書き手として、交通と交流の狭間にあるものを大切にしているからなのではないだろうか。
話のおもしろい人の話を聴いているとき、私たちは漫然とはしていない。自分の相づちに血が通っていることを感じている。聴く側の前向きさが、おもしろい話をさらにおもしろくすること。一方通行ではない、コミュニケーション。読んでいて、佳い相づりを打ちたくなる。だから、燃え殻さんのことをもっと知りたくなる。
この本は、随筆ともエッセイとも違うが、実体験ならびに最近の出来事を綴っているという意味では、その系統に属する。日記というほどルール化されているものではないし、雑感というほど曖昧なものでもない。燃え殻さんならではの実感みたいなものが、押しつけがましくない風情で揺らめいている。抽象的ではない。具体的だ。が、押しつける厳しさがない。だから、次、次、と読みたくなる。いいな。