半世紀ぶりの土舞台で熱演 山形県の鮭川歌舞伎
かつては鮭川村内の京塚、石名坂、上大渕、川口の4地区に分かれて一座が存在し、4地区の神社の奉納歌舞伎として毎年演じられてきた農村歌舞伎だったが、後継者難や衣装の破損などから昭和46年、4座を合わせて「鮭川歌舞伎保存会」を結成。47年には、東京の市川歌舞伎劇団の市川千升(せんしょう)座長から約300点の衣装を寄贈され、農村歌舞伎を復活させてきた。以来、半世紀目にあたる今年は、京塚愛宕神社で昔ながらの土舞台を復活再現しての公演となった。
開演前、鮭川歌舞伎保存会の佐藤成一会長が口上を述べた土舞台は、土で固めた、大きさ(幅9メートル、奥行き5メートル、高さ1・3メートル)。土舞台は古くから広くあり、最古のものは奈良県桜井市に起源をもつ、612年に遡(さかのぼ)るる。一般的には、土(つち)舞台といわれるが、鮭川村では土(ど)舞台と呼ばれ、約250年の農村歌舞伎の舞台として使われてきたという。
保存会結成50年にあたり、村から委託を受けた羽陽工務店や歌舞伎役者らも参加して仕上げた土舞台に、同社の高橋宏輔社長は「みんなで手づくりで作り上げたものです」といい、同村役場の西野桂一課長は「村の総力を挙げて、つくり上げた」と胸を張る。
保存会発足から50年目の今年、場を清める意味をもつ「義太夫・寿式三番叟」がまず演じられ、「仮名手本忠臣蔵五段目『山崎街道鉄砲渡しの場・二つ玉の場』」、「大切 仮名手本忠臣蔵三段目『「殿中松の間刀傷の場』」と続いた。
演じ手は、村内の会社員や公務員らで、4カ月間の猛練習の末の好演ぶりに大きな拍手が送られていた。
天童市から来た主婦、石川由美さん(63)は「一度は見てみたいと思っていました。風を感じながら自然の中で見ることができ、とっても新鮮でした」といい、山形市の元公務員、高橋弘さん(77)は「初めて見た土舞台に小学生のころに見た農民芸能を思い出した。きょうは改めて感動しました」と満足そうだった。