荒唐無稽?な地球規模のプロジェクト 欧米の街角や辺境巡った新宮晋、一芸術家として証明したかったこと
ウインドサーカスは50歳になる直前に始めた。風で動く彫刻10点をコンテナに詰め込み、欧州と米国の9都市を巡った。ある日突然、広場や公園に作品が並び、たまたま通りがかった人が出合う。その反応が知りたかった。そしてしばらくすれば何の痕跡も残さず、ぱっと消える。まるでサーカス一座の興行。
「アートって何だろうと思った。美術に教養がある人だけが分かるのではなく、もっと直接的に分かるはず。だから美術館や展覧会ではなく、街角だったんです」
場所も資金の見通しも決まっていない中で企画書を書き、制作を始めた。開催に向けては現地の行政当局と会場設営の交渉の連続。米ニューヨークの世界貿易センタービル前で行う際には、何かあった際の責任問題などから厳しい条件を付けられた。輸出手続きや運送会社との打ち合わせといった実務もこなした。
合間に帰国すれば、ウインドサーカスとは別に受注している仕事に追われる。「気が狂いそうな忙しさ」だった。
世界中のどの会場でも、作品を見上げて口元をほころばせる人々がいた。ぽかんと口を開け、不思議そうに見入る人も。子どもたちは歓声を上げて駆け回った。ボストンで出会った老紳士の言葉が忘れられない。「私はね、現代アートは嫌いなんだよ。でもあなたの彫刻は、モダンだけど自然なんだね。どこか遠い星から飛んできた植物の種が、地面から芽生えたようなところが気に入った」
新宮は言う。「子どもから大人まで性別や国籍、宗教に関係なく通じ合えるような人間ベーシックなもの。それがアートなんです」
1999年9月15日夜、パリ。ウインドキャラバンについて発表するため、日本レストランに友人らを招いた。当時62歳。その夜は今振り返っても不思議なくらいのメンバーがそろっていた。
建築家のレンゾ・ピアノ夫妻、エルメス会長のジャンルイ・デュマ夫妻、振付家のイリ・キリアン夫妻、美術評論家のピエール・レスタニ夫妻、彫刻家フランス・クライスバーグ…。日本からは美術評論家の中原佑介(後の兵庫県立美術館長)も駆けつけた。
メンバーの前に立ち、ゆっくりと英語で話した。
自然破壊や温暖化、飢餓。絶えることのない争い。地球は未曽有の危機にひんしている。われわれの考える文化や文明は、本当に正しいのか。「今学ぶべきは未来の生き方だと思う。未来の生き方というのは案外、われわれが忘れてしまっている、自然と密着した生活をしている先住民から学べるのではないか」
コンテナ一つに軽量作品21点を詰め、自然本来の姿が残る辺境を巡る。滞在は1カ月ほど。作品が舞台装置となり、そこで暮らす人たちと交流が生まれる。きっと、明日の地球を生きるヒントを得られるはずだ。
長い間、風や水で動く作品を作ってきた芸術家として、この地球をもっと知りたい。自分らしい方法で、地球の素晴らしさを証明したい。そんな思いだった。
会場は温かい雰囲気に包まれ、「ウインドキャラバンに乾杯!」と繰り返された。思いだけで始めたプロジェクトだったが、友人たちは皆祝福してくれた。
場所を探すロケハンのため地球7周分の距離を移動した。ガイドを雇い道なき道を進み、ヘリに乗り込み、時には自ら四駆車を運転した。世界中にいる分野を超えた友人たちが協力してくれた。
そうして、ニュージーランドの無人島、フィンランドの凍結湖、モロッコの岩山、モンゴルの大草原、ブラジルの海岸砂丘-に決め、旅のはじまりは三田とした。
この途方もないプロジェクトを深く理解し、精神的にも金銭的にも支えてくれたのが、エルメス会長のデュマだった。=敬称略