ザ・インタビュー 隠れた名著、約40年ぶり復刊 現代史家・秦郁彦さん著『官僚の研究 日本を創った不滅の集団』
原著の刊行は昭和58年。隠れた名著として知られていたが、このほど約40年ぶりに復刊された。
母体となったのは、秦さんが各省庁に眠っていた内部資料を活用して編んだ近現代史研究者必携の資料集『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』(東京大学出版会、平成13年に『日本官僚制総合事典 1868-2000』として増訂)。
「これ以前に私は『日本陸海軍の制度・組織・人事』(現『日本陸海軍総合事典』)という類似の資料集を手掛けまして、今でも売れ続けている。出版社としては軍人よりも官僚の方が多いからもっと売れるだろうと見込んだのですが、こちらはあまり売れなかった。軍人と違って官僚は職場に対する愛着が乏しく、自分や先輩たちの姿を見たくないのではないか。その元をたどれば、悪口を言われることが多いので、身を縮めて生きている要素があるのではと思いましたね」
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明治政府の成立直後には主に薩長土肥の下級武士層によって構成されていた官僚組織だが、明治27年から高等文官試験(高文)が実施されると、この試験に合格して官吏となった高文官僚に交代していく。
重要官僚の出身地も次第に東京など経済規模の大きな府県が上位を占めるようになるものの、実父の職業の多くは官公吏や軍人、教員や地主などの中産階級以上だった。高文は満20歳以上の男子なら誰でも受験できる試験で、藩閥的縁故主義の解体に大きな力があったが、親の階級に基づく教育格差という今日まで続く別の問題はすでに生じていたことがうかがえる。
「官僚をどう選抜するかは永遠の課題です。世界的なお手本は中国の科挙で、西洋にも影響を与えた。その典型がフランスで、エリート校出身者が社会の指導層として若いうちから特別な待遇を受ける。対して英米は政治任用が多い。日本はその中間ですね」
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昭和31年に大蔵省入省。経済企画庁、防衛庁出向を経て大蔵省に戻り、財政史室長として『昭和財政史』の編纂(へんさん)・執筆を手掛け51年退官。戦後官僚制の全盛期を中から見た経験は、本書で縦横に生かされている。
近年はキャリア官僚志望者が減少傾向にあるなど、官僚への国民の視線は変化しつつある。
「政と官、さらにマスメディアという3すくみ状態の中で、官の影響力は低下しましたね。全体としては3者ともに地盤沈下が進み、政策の推進力や突破力が落ちている。結果、日本国家自体が長期停滞した。停滞社会では、流れに身を任せておけば生活はほどほどに成り立つ。官僚化は官公庁だけでなく、企業などさまざまな場で進行しているようにも思います」
日本官僚制の長所は現場の実務的強さ。弱みは、ゼネラリストとして育成されるキャリア組に専門性が乏しく、実務能力が磨かれない点だと手厳しい。対策としては、実務を担う課長補佐クラスを「専門官」として決定を行う権限を与え、課長級以上はその決定への拒否権を持たせた上で組織のマネジメントに専念させることを提案する。
「いろいろ官僚の悪口を言いましたが、期待するところも大きいんですよ。しっかりした官僚制は、国家の生存に欠くべからざるものですから。問題は、いかにそれを効率よく動かすかです」
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■3つのQ
Q新型コロナウイルス禍での日常は?
平素からあまり外出しないので、特に生活は変わっていませんね。3回目のワクチン接種も済ませました
Q独自の健康法はありますか?
特段ありませんが、散歩は毎日しています
Q今の関心事は?
ウクライナ戦争ですね。これについて少し書くことになっておりまして、戦局をずっと見守っています
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はた・いくひこ 昭和7年、山口県生まれ。東大法学部卒業後、大蔵省入省。米ハーバード大などへの留学を経て防衛研究所教官、米プリンストン大客員教授、千葉大教授などを歴任。法学博士。平成5年、『昭和史の謎を追う』で菊池寛賞。26年、『明と暗のノモンハン戦史』で毎日出版文化賞。同年、正論大賞。