直木賞作家今村翔吾さん、古巣で思い出語る 全国行脚へ出発
今村さんは京都府出身。大学卒業後、ダンスインストラクターをしていたが、東日本大震災の復興支援をした際に見た発掘調査に興味を抱き、平成27年10月から2年3カ月、市埋文センターの職員として勤務し、発掘調査などに携わった。
「30歳まで家業のダンスをやっていて、外の人とうまくやっていけるのか不安だった。埋文センターでは勉強をさせてもらっただけでなく、やっていけるという力と勇気をもらえた」
今村さんはこの日の記念講演会で、集まった市民ら約70人が熱心に耳を傾ける中、旅のスタートに守山を選んだ理由をそう語った。
今村さんは下之郷遺跡や伊勢遺跡といった全国的に知られる弥生時代の遺跡なども発掘。勤務時間後や休日は近くの喫茶店などで小説を書いていたという。
原稿は埋文センター近くの幸津川郵便局から送っていたことを明かし、職員から「直木賞とったら預金頼むで」「各種保険を取りそろえておくから」などと冗談交じりに言われていたとのエピソードも披露。埋文センターで働いていた時期に『蹴れ、彦五郎』で伊豆文学賞を受賞するなど、作家としてスタートを切った場所だと強調した。
「丁寧に遺物を掘って、きれいにして収蔵して…。埋文センターはすごく大切な所だが入館者が2人しか来ず、宅配の人も入れて3人にしておこうかという日もあった」と懐かしそうに振り返り、「今日だけでひと月分くらい来てるのでは。貢献できてよかった」と会場の笑いを誘った。
当時の上司で、今村さんがいまも慕う埋文センター所長の岩﨑茂さんは「翔吾君は夏の暑い日など肉体的にもきつい時期も調査をきっちりやっていた。実直で手を抜くことがないので、まつり旅が終わったら、少しはゆっくりしてほしい」と健康を気遣っていた。
記念講演の冒頭には守山市の宮本和宏市長から市をPRする「もーりー守山ふるさと大使」に任命された。講演後は埋文センター玄関に大勢の市民が集まり、118泊119日の旅に出発する今村さんを拍手で見送った。