沖縄復帰50年 「豊かに」「課題も」県民反応さまざま
「復帰の3年前に父が出店し、同じ年に私も生まれた。以来、沖縄とともに店も私も成長した。復帰して心から良かったと思う」
那覇市の観光メインストリート、国際通りで土産物店を経営する島袋学(まなぶ)さん(53)が話す。
復帰後の50年で、著しく成長したのが沖縄の観光業だ。昭和47年に44万人だった来県観光客数は令和元年に1016万人と、1千万人の大台を超えた。
しかし新型コロナウイルス禍で2年は374万人、3年は302万人と落ち込み、「試練だね。でも乗り越えないと…」。
名護市の団体事務職員、小林真美さん(59)が復帰を迎えたのは小学5年生の時だ。それまで1セントで駄菓子が買えたのに、1円で買えるものはなく、ショックだったという。
「あの頃に比べると本当に豊かになった」と笑顔を見せた。
復帰後、沖縄の生活水準は向上した。一方で沖縄本来の風習や文化が希薄になっていくことを懸念する声もある。
琉球料理研究家の山本彩香さん(87)は「うちなーぐち(沖縄の方言)が次第に使われなくなり、琉球料理の味や形も変わっていった。おいしい郷土料理は人々の交流につながる。本来の琉球の味を、後世に伝えていきたい」。
琉球王朝時代からの伝統工芸、金細工(くがにぜーく)師の又吉健次郎さん(90)は「沖縄の文化も本土の文化も、元は一緒さぁ」と前置きしつつ、「この50年、文化を通じた交流で人間の尊さを感じてきた。自分はここ沖縄で、この道具で、命ある限り(金細工づくりの)音を響かせていくよ」。
米軍基地をめぐる課題もある。県内では15日、基地反対の集会などが各地で開かれ、那覇市での集会に参加した新城勝善さん(73)は「基地が縮小されない限り、復帰の意義はないのではないか」と語った。
若い世代はどうか。
南風原(はえばる)町のゲームセンター店員(23)は「生まれてからずっと日本、沖縄だし、あまり意識していない」。うるま市の専門学校生(18)も「昔のことは…」と口ごもりつつ、「沖縄に愛着はある。さらに発展してほしい」と話した。
さほど関心は高くなく、復帰の意義をどう伝えるかが課題といえそうだ。