マルキ・ド・サドはただの変態だったのか、偉大な哲学者だったのか
マルキ・ド・サド(ドナスィヤン・アルフォンス・フランソワ・ド・サド)は18世紀当時からベストセラー作家であったにも関わらず、生涯のほとんどを獄中で過ごしました。一方でフランス政府は2017年、彼の作品を「国宝」と認定しています。過去200年ほどの間、サドはどのような評価をされてきたのでしょうか。5つのポイントで学びましょう。
1. 『閨房哲学』、『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』、そして『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』──こうした作品こそ、サドは「忌まわしい本を書く」と当時の皇帝・ナポレオン1世に評価されたきっかけです。彼の作品の語り手は銀行家や聖職者、裁判官、貴族、娼婦など特定の立場にいる人間でした。老若問わず、高潔であれ不道徳であれ、さらに貧富にかかわらず、サドのペンが持つ風刺的な力から免れる者はいなかったのです。
2. サドは18世紀末フランスという恐怖の時代を生きました。血に塗れたギロチンの影の下で、彼は執筆していたのです。そのためサドの著書は、啓蒙思想における高い理想を反転した作品として読まれることもあるそう。たとえば『閨房哲学』で、サドは私たちにこう語りかけてきます。
「もしも人間が慎しみ深くあることが自然の意図に沿ったことであるならば、自然は人間を裸で生まれさせはしなかったであろう」
3. 彼の嗜好──ソドミーや小児性愛、鞭打ち──に加え、著書における性的加虐性や殺人行為を伴う乱交などの過剰な描写により、大勢が「サドは狂っている」と考えました。サドがシャラントンの精神科病院で生涯を終えたこともあり、そうした噂はさらに広がったのです。しかし死後に彼の頭蓋骨を科学的に検査したところ、身体的・精神的な異常は見られませんでした。
4. フェミニスト哲学者であるシモーヌ・ド・ボーヴォワールは、エッセイ『サドは有罪か』でサドを擁護しています。彼女は「社会が歪んでいるのは、個人も歪んでいるとき」という思想を掘り下げているサドの小説には説得力があると論じたのです。サドの人生そのもの、そしてそれに伴う小説の変態性の高まりは、サドを支配する「社会」の抑圧の強さを示しているのだと言います。
5. 20世紀になると、サドは多くの知識人や芸術家から「神」と崇められました。彼の著作は、人間が持つ非人間性を映し出す闇の鏡であると解釈されたのです。サドの名と作品は、近代の芸術家や作家たちが「戦争や全体主義体制の恐怖」を訴える手段となっています。
サドの文章は冷酷で残虐な一方で、読者に強烈な印象を残すことは間違いありません。それこそが芸術の力であり、私たちがサドを読み続けなければならない理由なのかもしれません。
▼今回要約した記事はこちら