皇帝ネロの古代劇場、ローマで発見
バチカン市国の近くにあるこの遺跡は、紀元1世紀にネロが詩と音楽の練習をした場所とされる。学者たちは長年、プリニウスが著した歴史書の中でこの古代劇場について読んできたが、これまでその場所を突き止めることはできなかった。
米CNNが報じたところによると、同劇場はローマのコンシリアツィオーネ通りにあるデッラローベレ宮殿の中庭の改修工事中に発見された。大理石の柱や金箔で装飾されたしっくいにより、考古学者がこの遺跡を特定することができたと米AP通信は報じている。
米ABCニュースによると、遺跡からは、ローマ皇帝カリグラによって建設された競馬サーカス「オルティ・ディ・アグリッピナ」の跡とみられるもののほか、中世のガラス製のゴブレットや調理鍋、コイン、楽器の破片、骨でできた櫛など、他にも複数の考古学的発見があった。
発掘を率いる考古学者のマルツィア・ディメントはABCニュースの取材に「驚くべき発掘だ。考古学者なら誰もが夢見るものだ」と証言。発見されたものすべてを調査するには何年もかかるだろうと語った。
遺跡の上にはフォーシーズンズホテルが建設される予定。同ホテルは、3000万人の来訪が見込まれるバチカンの2025年の聖年までに開業することを目指している。
ブリタニカ百科事典によれば、ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥスは紀元54年~68年までローマ帝国を統治した。ネロは芸術、特に詩と音楽への造詣の深さで有名だった。ネロが死去に際し、最後に放った有名な言葉は「なんと惜しい芸術家が、私の死によって失われることか!」だった。
ネロの治世の64年に起きた火災によって、ローマの大部分が破壊された。この火事は、同皇帝の命令で火が放たれたのではないかと考える歴史家もいる。ネロは権力を行使してキリスト教を迫害し、妻のクラウディア・オクタウィアや顧問のアグリッピナ、親友で家庭教師のセネカなど、自身に近い人物の多くを殺したことで知られている。同時代人の多くはネロを狂人と見なし、ネロの大げさな振る舞いは皇帝にふさわしくないと考えていた。68年に自殺で死去。