矢澤澄道 『月刊住職』編集長インタビュー「日本のお寺はなくならない」
(『中央公論』2023年9月号より抜粋)
最近、日本のお寺が危ないとよく言われていますが、そんなことはありません。では、なぜ、日本の伝統仏教のお寺(書物の中の仏教や教理のことではありません)が、これからもなくならないかといえば、第一に、お寺ほど安心で便利で、かつ無防備なところはないからです。
事実、自分にとって必要なときだけ門をたたいたとしても、ほとんどの住職は鷹揚に迎えてくれます。信仰を強要したり、他の多くの宗教のように「信仰がなければ地獄に堕ちる」などと脅かしたりする住職はいまどき皆無でしょうから、そんな寛容なお寺があったって邪魔にはなりません。
また、お寺は、どんなに困窮しても(市井のお寺の多くが貧乏なのはいつの世も当たり前です)、その責任を庶民や社会に負わせることはありませんでした。寺院が戦争に加担することが稀にあったにせよ、おおむねお寺は庶民の関心の外でした。というのも、後でふれますが、日本人がお寺に費やす支出は他の宗教に比して微々たるものに過ぎず、それでもお寺は従容としているからです。
金銭的にも無欲な僧侶を理想とする(本音は自分たちの支出を少なく抑えるためなのでしょうか)日本人一般の、世界でも稀な観念(例えば他の仏教国ではお布施をたくさんもらえるお寺や僧侶こそ崇敬されます)に対して、お寺は今でも全く抗うことをしません。それゆえに、社会的に大きな力を持つこともなく、まるで人々の都合に合わせるようにして存在している。こんな便利で安全な伝統仏教寺院は、人口減少社会でもなくなるはずはありません。
さて、現在、日本の仏教僧侶は、住職・副住職を含めて13万人ほど。私はこの方々に向けた専門誌『月刊住職』の編集長をしています。創刊は1974年、来年で創刊50年ですね。毎号、平均20ヵ寺以上にスタッフが取材し、お寺の運営や住職の実践に役立つさまざまな情報などをお伝えしています。
そうした長年の経験もふまえ、お寺の実情をご存じない方のために、日本のお寺について少し詳しく説明させていただきます。
「人口減少や少子高齢化により、お寺を支える檀家や信徒の数が減り、お寺の数も減っている。さらにコロナ禍で葬儀が縮小傾向にあることも相まって、仏教への関心が急速に薄れつつある。近いうちに日本の仏教は崩壊、消滅する」──昨今、マスコミがそうした言説を唱えるのをよく目にしますが、私は、非常に違和感を覚えています。
そのような情報発信をしている人たちは、日本のお寺の現状や仏教の存在を正しく認識しておらず、センセーショナルな記事を作るのに都合のいいデータを引っ張っているだけのような気がするのです。一例として、NHKはじめ各種の世論調査でも、仏教信仰があると答える方は以前からせいぜい3割どまり。3割だからといって仏教が崩壊すると思う人はいないでしょうし、現に、仏教もお寺も消滅していません。
まず前提として、多くの日本人の宗教観が、他の国々とは大きく異なることを理解していただきたいと思います。日本人は、もともとお寺にほとんど関心を持っていないのです。これは日本人が、お寺や仏教に費やす金額からみてとれます。
『月刊住職』で計算したところ、総務省「家計調査」から、宗教関連の支出と思われる「信仰・祭祀費」「葬儀関係費」「祭具・墓石」「他の冠婚葬祭費」(結婚式場費は含まず)を抜き出して合計した金額は、2022年で1世帯平均3万3561円。家計の支出総額の1世帯平均約293万円の1・15%です。
同じく10年前の2013年の宗教関連支出は4万626円で、家計支出総額約302万円の1・35%でした。宗教関連の支出は、コロナ禍前の30年間ほどは、ほぼ1・4%前後で推移していて、コロナ禍の3年間では1%前後に減少した形となりました。
この金額は、世界の国々と比較すると著しく低い。既成の宗教の中では比較的宗教費が少ないとされるキリスト教でも、世帯ではなく各人について、毎年、所属する教会へ所得の10%程度の献金を勧められると聞きます。イスラム教やヒンドゥー教では、寄付や奉仕が生活の一部となっており、東南アジアの仏教国でも、寺院へ多く喜捨することが日常的なのです。
外国の方に、日本人の宗教費が1世帯支出の1~1・4%程度と言うと驚かれます。ちなみにその1~1・4%には、1世帯で20年に1度くらいある葬儀費用も含まれます。葬儀費用にはお寺へのお布施が含まれていますが、葬儀会社への支払いもあるので、そうしたことを考え合わせると、日本の1世帯が仏教とそのお寺に費やしている金額は、実質1~1・4%の半分以下ではないかと考えられます。