ユダヤ教もイスラム教もキリスト教も「豚」を忌み嫌うのはなぜか?
中世のキリスト教世界では、豚が主要な食肉だったのに、少しずつ蔑視されていった。もっとも、いつも鼻で地面を掘り返してばかりいて、神がいる天に目を向けようともしないこの動物をどうとらえればよかったのだろうか。
しかも、この動物は、ほかの動物の糞や死骸も食べるのだ。悪魔の特徴といえそうなものも、もれなく備わっていた。色は黒(中世ヨーロッパの豚は、アジア由来のピンクの豚と混じっていなかった)。開かれた口からは地獄の淵のような光景がのぞいた。視力が弱く、神という光を見ることもできない。
中世の美術作品では、豚には「不潔」「暴食」「淫乱」「憤怒」といった特徴があると強調され、まるで悪徳を体現するかのような動物として描かれた。ぬかるみに浸る豚は、おのれの罪に舞い戻る人間の象徴だった。
ヨーロッパでは、中世・近代ともにユダヤ教を敵視する風潮があり、ユダヤ人が忌み嫌うこの動物の名が、ユダヤ人の呼称に使われた。13世紀から17世紀まで、ユダヤ人の子供がメス豚の乳を吸う絵も出回った。
とはいえキリスト教徒は、豚肉を食べることを禁じられていたわけではなかった。それが、豚肉を食べることが厳禁だったユダヤ教とは異なるところだ。
(古代イスラエルの民に与えられた「モーセ五書」のひとつであり、祭祀律法書である)「レビ記」(11章7~8節、聖書協会共同訳)にはこう書かれている。
「豚、これはひづめが割れて、完全に分かれているが、反芻しないので、あなたがたには汚れたものである。これらの肉を食べてはならない。死骸に触れてはならない……」
生きた豚に触れてはならず、豚の名を口にしてもならなかった。
イスラム教の聖典「コーラン」にも同じタブーがあり、複数の節でその禁忌が書かれている(2章168節、5章4節、6章146節、16章16節)。
加えてイスラム教では、正規の作法に則って喉を切って殺した動物でなければ、その肉を食べてはならないことになっている。もっとも、これは特定の動物の肉の禁忌というよりは、血に関するタブーだ。