ボルタンスキー作品を常設。命の尊さ、震災の記憶を次世代に伝える「南三陸311メモリアル」が開館
311 メモリアル」が誕生した。
南三陸 311
メモリアルは、「南三陸さんさん商店街」(2017年オープン)などが広がる道の駅「さんさん南三陸」内部に位置する。建築設計を担当したのは、2020年10月に開通した「中橋」のグランドデザインも手がけた隈研吾建築都市設計事務所だ。建物は鉄骨造2階建て。海と山と未来をつなぐ「船」をイメージしたという大きな三角屋根と、南三陸産の木材を使ったルーバーがダイナミックな印象を与える。
施設運営にあたる一般社団法人南三陸町観光協会の及川吉則会長は、本施設を町の復興の「集大成」と位置づける。「見るだけでなく、町民の体験を来場者一人ひとりに丁寧に伝え、自分ごととして落とし込んでもらうラーニングプログラムが特徴だ」とし、地域を結ぶ拠点となることを目指すとしている。
また、南三陸町役場商工観光課の宮川舞課長は、「施設に期待する地域の声も大きい。防災教育の拠点としてだけでなく、ここから文化観光も推進したい」と意気込む。
南三陸311メモリアルの館内は、有料展示スペース(展示ギャラリー、アートゾーン、ラーニングシアター)、交流スペース(みんなの広場)、2階展望デッキで構成されている。ここでは主に展示ギャラリーとアートゾーンを中心に紹介したい。
町民の記憶伝える「展示ギャラリー」
南三陸 311 メモリアルの展示プロジェクトに携わった有限会社ダ・ハ
プランニング・ワークの吉川由美代表は、被災規模の大きさから「南三陸町は遺物収集も困難だった町」としつつ、「一番伝えるべきは町民の体験。その証言を拾い、編集し、学んでもらうためのプログラム化が一番のミッションだった」と振り返る。
展示ギャラリーでは、震災にまつわる様々なエピソードを町民たちの証言とともに紹介。また、防災庁舎で九死に一生を得た人々の証言を紹介する常設の映像作品のほか、震災に関連するエピソードのバナーやインタビュー映像を見ることができる。このインタビュー映像は企画展ごとに編集されるという。
オープニング展「あの日、生と死のはざまで」(10月1日~2023年2月14日)では、館内に22点のバナーと8点の映像が展示(なおオンラインでも証言映像や、エピソードのデジタルアーカイブを公開)。また、ケースの中に展示された南三陸町・佐藤仁町長が震災翌日に書き残した4枚のメモは、当時の緊迫した状況を生々しく伝えている。
アートで死と生を能動的に考える体験を
アートゾーンは、2021年7月に亡くなったクリスチャン・ボルタンスキーのインスタレーション《MEMORIAL》を展示するスペースだ。ボルタンスキーは、理不尽な死や死者の存在、そして命の尊厳をテーマに数々の作品を残したことで知られており、震災直後に三陸海岸を訪れている。
南三陸町は、16年に国立新美術館で行われた回顧展の際、来日したボルタンスキーに作品制作を依頼。ボルタンスキーは快諾し、20年春に本作プランの詳細が送られてきたという。
暗い展示室に設置された作品は、ボルタンスキーの代表作である錆びたビスケット缶を積み上げたインスタレーションだ。使用されたビスケット缶の数は1050個。町内の板金工場が作家に確認をとりながら手作業で制作し、南三陸町の潮風のなかで風化し、錆びていった。ボルタンスキーは作品完成を見届けることなくこの世を去ったが、同氏の作品制作を全世界で手がけてきたアトリエ
エヴァ・アルバランとともに制作を進めることで完成へと至った。
ビスケット缶の錆は、時間の経過や記憶の風化を思わせる。死と向き合い、死者の存在を思い、そして命の尊さを自覚させる《MEMORIAL》。吉川は、「震災を自分ごととして体験させてくれるのはボルタンスキー氏のアートしかないと考えた。彼の作品は葛藤や違和感を呼び起こすもの。ここで感じたものが何かを問い続けてほしい」と話す。ボルタンスキー作品が常設展示される施設は日本国内では数少なく、南三陸
311 メモリアルのアイコンとなるだろう。
館内にある震災後の町民たちが支え合いながら生きる姿や感謝を伝える交流スペース「みんなの広場」では、写真家・浅田政志が2013年秋から21年夏まで町民とともにつくり続けた作品「みんなで南三陸」全47点から、19点が常時展示される。そこに写された生き生きとした町民の姿は、ひときわ明るく輝いている。
自分ごととして自然災害について考える「ラーニングシアター」では、震災の教訓をいまに伝えるラーニング映像を上映。映像鑑賞とともに、来場者同士が言葉を交わす場となるので、ぜひとも体験してもらいたい。
2階の展望デッキからは、海を臨むことができる。この場に立つと、人それぞれ様々な思いが去来するだろう。災害が頻発するこの国において、この施設が誕生した意義は大きい。