「トリック・オア・トリート」はいつから? ハロウィンの進化史
ハロウィンの起源は2000年以上前、ケルトの新年である11月1日に行われたサウィン祭にあると考えられている。生者と死者の世界を隔てる壁が薄くなる日の前夜、悪魔や妖精、死者の霊が地上に現れると信じられていた。
ケルトの人々はたき火をしたり、食べ物をささげたりして、過去1年間に亡くなった人の霊魂を鎮めようとした。また、死者の霊に気付かれないよう仮装もした。
その後、キリスト教の指導者が異教徒の祝日を取り入れたことで、7世紀、サウィン祭は諸聖人の日(オール・ハロウズ・デイ、万聖節)へと変化した。しかし、その前夜には、オール・ハロウズ・イブという新しい名前で、たき火や仮装、パレードが続けられていた。これが「ハロウィン」の起源だ。
米国にはヨーロッパからの移民が持ち込み、アイルランド系移民が爆発的に増えた1800年代、人気の祝祭となった。ケルトの風習や信仰が米国の農業の伝統と融合し、オカルトの要素を残したまま、秋の収穫祭として定着した。そして、長い年月を経て、かつて祖先が恐れていた幽霊に子供たちが仮装する日となった。
しかし、なぜケルトの伝統が、霊魂から身を守るためでなく、楽しみやキャンディーのために子供たちが仮装して「トリック・オア・トリート」と言う日に変わったのだろう?
伝統行事や儀式などにまつわる言い伝えを紹介した『Holiday Symbols and Customs(祝祭のシンボルと慣習)』第5版によれば、英国には16世紀の時点で、貧しい人々が万聖節の翌日の万霊節に物乞いをする慣習があり、やがて子供たちがその慣習を受け継いだという。当時、表面に十字架をあしらった「ソウルケーキ」を子供たちに渡し、自分の代わりに祈ってもらうことが流行していた。
『Trick or Treat: A History of Halloween(トリック・オア・トリート:ハロウィンの歴史)』の著者リサ・モートン氏は典型的なハロウィンのお祝いに関する記述をさかのぼり、1869年にスコットランドでたき火を囲みながらハロウィンを過ごしたビクトリア女王の手紙を発見した。
「城を一周した後、たいまつの残りが南西の積み薪の中に投げ込まれ、それが大きなたき火になりました。さらに、ほかの可燃物が投入され、たき火は燃え盛る巨大な塊となり、その周りでダンスが繰り広げられました」
モートン氏によれば、米国の中流階級の人々はしばしば、英国人のまねをしたがったという。例えば、1870年代に出版された短編小説で、ハロウィンが英国の祝日として登場し、子供たちがお菓子をもらうためのゲームや占いをしている様子が描かれている。
ただし、モートン氏は、トリック・オア・トリートはもっと新しい伝統で、驚くことに、クリスマスから着想を得たものかもしれないと述べている。
米国とカナダの東部では18~19世紀、トリック・オア・トリートに似たクリスマスの慣習「ベルスニッケル」ごっこが流行した。仮装した人たちが家々を回っていたずらを行い、食べ物や飲み物をもらうというものだ。家にいる小さな子供をわざと怖がらせ、おやつをもらえるくらい良い子だったかと尋ねるベルスニッケルもいた。また、初期の記述によれば、仮装した人の身元は推測するしかなく、家主たちは正体不明の人にも食べ物を渡していたという。
19世紀には、超自然的な力が働いているように見せるため、窓をカタカタ鳴らしたり、扉を開かないようにしたりする「トリック」がしばしば用いられた。農機具を分解し、屋根の上で組み立て直すようないたずらから家を守るため、お菓子を差し出す人もいた。20世紀に入ると、反撃に出る家主が現れ、議会が地域社会に対し、子供たちに健全な遊びをさせるよう呼び掛ける事態にまで発展した。
このようないたずらから「トリック・オア・トリート」という言葉が生まれた可能性が高い。語源研究者のバリー・ポピク氏によれば、ハロウィンに関連した最初の使用記録は、家々で「トリック・オア・トリート」を要求するいたずら好きについて報じた1927年のカナダ、アルバータ州の新聞記事だという。