猿之助逮捕がもたらした深刻な危機、それでも歌舞伎には乗り越えていく生命力がある
私は今年70歳になるが、歌舞伎を見始めたのは遅く、2000年からである。きっかけは、『情熱大陸』の番組で、13代目市川團十郎白猿、その当時は市川新之助を見たからである。
ただ、今大きな話題になっている沢瀉屋の4代目猿之助とは、わずかながら接点がある。
私は2012年3月に、講談社現代新書の1冊として『ほんとうの親鸞』を刊行した。それが猿之助の目にとまり、新聞で書評してくれた。内容についてはふれていなかったので、紹介というべきかもしれないが、彼が私の本の読者であったことは間違いない。
その直後、猿之助の出る公演に出掛けていった私は、これまで出した唯一の小説『小説日蓮』(東京書籍)を進呈した。ただ、後援会の人に渡したので、本人とは接触していない。それに、その後猿之助は小説は読まないという話を聞いたので、進呈する本を間違えたと思った。
コロナの流行で、歌舞伎の公演が中止になり、歌舞伎座の公演も5カ月にわたって行われなかった。想像もされなかった事態で、歌舞伎役者にとってはこれまで経験していない危機だったようだ。私のような観客の側は、ただ再開を待っていればいいが、役者にとっては仕事が失われたわけで、その不安は、先が見えなかっただけに、相当なものだったはずだ。
再開後、それぞれの役者はなんとか歌舞伎を盛り上げようと頑張った。なかでも猿之助は、その先頭に立ち、舞台に出続けた。テレビのドラマやバラエティーにも出演し、活躍の場を広げた。だからこそ、事件が起こった後も、予定された公演が何ヶ月先まであり、関係者はその処理に奔走しなければならなかったのだ。
「頑張りすぎたのではないか」
一ファンとしては、その思いがある。それで猿之助がした行為が免責されるわけではないが、人間にはやはり限度がある。その限度を超えたとき、人間は精神を病み、壊れてしまうのではないだろうか。