写真家・藤原新也は世界をどう捉えてきたのか ── 50年のキャリアと250点超の作品から見えるもの。
写真家・藤原新也は50年以上にわたって無数の作品を発表してきた。キャリア初期には『印度放浪』をはじめアジア各地を捉えた作品を発表し、1980年代に刊行された『東京漂流』や『メメント・モリ』といった書籍は、同時代の若者のバイブルとなった。アジアのみならず世界各地で撮影した作品も発表するほか、山口百恵やAKB48といった時代の顔を捉えたかと思えば、東日本大震災の被災地やハロウィンに沸く渋谷にもカメラを向け、今もなお写真をはじめ文筆、絵画、書と、あらゆるメディアを越境し続けている。
2023年1月29日まで〈世田谷美術館〉で開催されている『祈り・藤原新也』は、そんな藤原にとって初となる公立美術館での大規模展だ。会場にはキャリア初期から現在に至るまで、250点超の作品が展示されているが、決して単なる「回顧展」ではなく、タイトルに冠された「祈り」というキーワードのもとで、新たなストーリーが紡ぎ出されている。
「展示のオファーは5~6年前にもらっていたのだけど、ぼくは回顧するのが嫌いで自分の本さえ読み返さないから、過去に向かうような回顧展にはしたくなかった。ただ3~4年前にインドで撮った夜明けの写真を見たときに、ふと思い浮かんだ『祈り』という言葉がしっくりきたんだ。そして祈りという言葉から過去の作品を見ると、すべてが違って見えた。写真を見て思い浮かんだということは、ぼくの写真のなかに何か祈りのようなものがあるんだろうね」
かように「祈り」というキーワードは反射的に生まれたものだが、もとより藤原にとって言葉は「声」のように写真から響いてくるものだったようだ。前述の『メメント・モリ』も写真を見て思い浮かんだ言葉を書き留める方法でつくられたものであり、そんなリフレクションからこれまでの藤原の作品は生まれてきたのだという。
しばしば写真と言葉はお互いを説明しあうような関係性をつくりがちだが、「今回の展示に合わせてつくった写真集も、お経のようなものを再現したくて写真に言葉を合わせていったんだ」と語るように、藤原にとって両者は、音や身体を通じて繋がっているものなのだろう。