市川房江さん、マッカーサー特集、モンペおしゃれ…終戦直後の『婦人画報』の貴重な誌面
白髪混じりの温和な笑顔を見せているのは、市川房江さんです。昭和20年11月号の巻頭を飾ったのは、戦後の女性参政権獲得運動の中心人物ともいえる女性でした。女性参政権の実現はこの年の12月。獲得に向けての運動が高まっていた時期でした。
翌年行われた第22回衆議院選挙では39人の女性議員が誕生、割合は8.4%。ちなみに令和3年の第49回衆議院選挙後の女性議員数は45名で議員総数の9.7%。70年以上の時間が流れたにも関わらず、女性議員数がそれほど増えていないこの現状。天国の市川さんは苦虫を嚙み潰しているに違いありません。
市川房江さんのページのあとに、唐突とも思える1ぺージが出現します。タイトルは「写真の物語る マッカーサー元帥」。そう、連合国最高司令官(GHQ)として戦後の日本占領を指揮したマッカーサーです。
当時、印刷用の紙などはすべて配給制であり、GHQの許可なしでは何もできなかったことを考えると、『ライフ』の写真をかき集め、マッカーサーの両親までも掲載したこのページは、GHQに対する最大限の忖度だったかもしれません。
いわばファッションページです。タイトルは、ずばり「私たちの服装をどうする」。食うや食わずの生活で、お洒落どころではなかった女性たちに、手持ちの服を見まわしモンペやキモノなどを活用して、明るく女性らしく装いましょうとの提案は、多くの女性を元気づけたに違いありません。
筆者は、戦前の一時期は『婦人画報』編集部に籍を置き、後に桑沢デザイン研究所を設立した桑澤洋子さんでした。
天皇中心の皇国史観に基づく軍国主義から、一夜にして民主主義の世の中に転じた日本。「民主主義」と言われても、多くの人が何のことか、よくわからなかったに違いありません。そこで、『婦人画報』誌上にも、「民主政の問題」と題する記事が掲載されました。内容は、議会制民主主義の原則や、イギリスとアメリカの議会制度の違いなど、いわば民主主義による政治体制の基本のキのレクチャー。
暗く抑圧された時代を生きてきた人々は、こうした記事に触れ、本当に平和な時代がやってきたことを実感しました。筆者の堀琴音氏は戦前は学者、戦後は日本社会党の国会議員となり、労働運動などに精力を傾けた人物。