【書評】子どもは親の虚栄心の道具か?:島沢優子著『スポーツ毒親 暴力・性虐待になぜわが子を差し出すのか』
学校部活やジュニアスポーツの現場で絶えることがない、指導者による暴力・性虐待事件。そこには子どもを守るどころか率先して追い込み、事実を隠蔽(いんぺい)しようとする「毒親」たちが存在する。本書は、「振り返れば自分も立派な毒親だった」と明かすスポーツライターが、全国のスポーツ虐待現場を訪ね、その実態に迫ったルポルタージュである。
2012年12月、大阪市立桜宮高校のバスケットボール部のキャプテンだった男子生徒が顧問の体罰を苦にして自殺した。30秒間にわたり20発も一方的に殴られる──公判で公開されたビデオ映像は衝撃的だった。
この凄惨(せいさん)な事件を機に、部活指導に対し見直しの機運が高まる。翌13年、日本スポーツ協会など5団体は「暴力行為根絶宣言」を採択。文科省をはじめ中央競技団体も「二度とスポーツの指導現場でこのようなことがあってはならない」と再発防止を誓った。
あれから10年──。学校部活における暴力行為は根絶されたのか? 残念ながら答えはノーだ。
2018年に岩手県の県立高校3年の男子バレーボール部員が自殺した問題で、県教育委員会は今年6月、亡くなった生徒に暴言を繰り返したとして、当時の部顧問を懲戒免職処分とした。報道によると元顧問は、「背は一番でかいのにプレーは一番下手」「脳みそ入ってんのか」「そんなんだから幼稚園児だ」など日常的に人格を否定する発言があったという。
19年4月には、茨城県の市立中学3年の卓球部の女子生徒が顧問の教諭から「殺すぞ」などの暴言を浴び、21年には沖縄県の県立高校運動部の2年生男子生徒が顧問から執拗(しつよう)な叱責を受けて、ともに自殺している。メディアで報じられている主な案件だけで3人の中高生が部顧問のハラスメントに悩んだ末、自死を選んだ。
各事件の調査にあたった第三者委員会の報告書から分かるのは、いずれの顧問も生徒の自主性を重んじる本来の指導から大きく逸脱し、「勝利至上主義」に基づいた威圧的な指導を繰り返していたことだ。
ところが本書の著者である島沢さんは、子どもが暴力指導の被害に遭った親たちを訪ねて話を聞くうちに、指導者に盲目的に従う親にも大きな責任があることに気づく。そしてそうした父兄を「スポーツ毒親」と命名する。
毒親とは、「毒になる親(toxic parents)」の略。米国人セラピストのスーザン・フォワードが1989年に出版した『毒になる親 一生苦しむ子供』(邦題)の中で作り出した言葉である。一般的には、過干渉や暴言・暴力などで子どもを思い通りに支配しようとする親を指す。
親からの教育虐待を受けて摂食障害やうつ病を患うケースは、なにも勉強や稽古事に限らない。スポーツにおいても早期英才教育が子どもの精神をむしばむことは多々ある。
毒とは知らずに指導者からのリンゴを食べてしまった親たち。彼らを毒親に変える“魔法の言葉”は「お子さんを絶対に全国大会に出場させますから」だ。
子どもに英才教育を施す親には、自分が学生時代に果たせなかった夢を託す者が多い。それゆえ「全国大会出場」が他のすべてに優先され、暴力すら肯定される。そこにあるのは親としての虚栄心だ。
幸いにもリンゴの毒を「解毒」できたある母親は、著者の取材にこう答える。
「子どもがやって(努力して)いないと言われるのが、子どもより私が嫌やった」
「あたしらたぶん猛毒や。もう、サリンくらいのレベルの」
日本社会の基本特性とも言うべき「集団主義」──その産物の一つがスポーツ毒親である。
監督の暴力を隠蔽するために保護者会が作った「口止め誓約書」。なかにはチームOBの全日本クラスの選手も加わり、被害届を出さないよう親子を脅すケースもあるという。さらに、有罪となった監督の処分の軽減を求める嘆願書を出すため署名集めに奔走する親……。心に深い傷を負い、PTSDを発症した生徒よりも加害者が擁護される。
こうした暴力指導者たちが「アメとムチ」を使い分けていることも特徴的だ。
遠征先でホテルの部屋に女子生徒を呼び出し、自分の横に寝てくれたら先発メンバーにしてやる、と言い寄ったケース。この指導者(外部コーチ)は他校のコーチにこううそぶいたという。
「昼間は殴って、夜は一人ひとり(部員を)自分の部屋に呼んでやさしい言葉をかければ、部員はついていくようになる」
そこで著者は、「ストックホルム症候群」を引き合いに出して次のように分析する。
この「殴られた後にやさしくされると従ってしまう」心理は、DVにも見られる特徴だ。自分がレギュラーになれるかどうかを決めるC(コーチ)に対し、立場の弱い生徒らがトラウマ性の結びつき、もしくはそれに近い心理に陥るのは当然のことに思える。そして、この心理構造は、Cと親たちの間にもあったのかもしれない。