桂二葉の「チャレンジ」に胸を貸す、一之輔、昇太、喬太郎の魅力とは
一之輔師匠の落語を聴くと、ふだんは忘れている子ども時代の幸せな想い出がぽっと咲くように顔を出す。それは学校から帰っておやつを食べながらドラマの再放送を観ていたときの幸福感に似ている。
いま考えればまったく根拠のない絶対的な安心感とでも言えばいいのか、あのころはいつでも家族や友達の気配を感じながら、同じように明日も必ずやってくると信じて
いた優しい日々。
言葉遣いは色使いと同じ。一之輔師匠の優しい色合いは繊細さと情が潜んでいるからちょっぴり過激な発言も尖っているようでいて角が取れている。そして柔らかな知性とユーモアをまぶした言葉のカットイン、カットバックで噺のディテールや人物描写を最大限に引き出し、頭に浮かぶ映像と言語を最短距離で接続させることができる。
説明と表現は違う。たとえば食べ物の名エッセイは食材の分量や調理法を書き連ねているのではなく記憶や経験を通して物語っている。さりげない共感を言葉にできるからこそ言葉とイメージが絶妙なバランスを取りながらエンターテインメントに昇華される。
その落語世界に身を委ねると時代設定にかかわらず、記憶の中に存在する風景や味覚が甦ることがある。その瞬間、気持ちに揚力がはたらき、心がほどけていく。落語の登場人物の姿に、なんでもないことで笑い合い、あたりまえでかけがえのない毎日の大切さを知る。
春風亭一之輔師匠の高座が優しさに満たされているのは、幸せな記憶が隠し味になっているから。