「月が綺麗ですね」だけじゃない…夏目漱石『こころ』の「童貞」の心をつかむ名場面
『源氏物語』『伊勢物語』と男女の巧みな恋愛模様を描いてきた日本の古典文学に対して、明治以降の近現代文学では様子を変える。森鴎外、夏目漱石、太宰治などの作品には、ビビりでくよくよしている「ダメ男」とそれを優しく包み込む女性の痛々しく、甘酸っぱい恋愛ばかりが登場するのだ。
そんなロマンスから読み解いた日本近現代文学の新しい一面を、イタリア人作家イザベラ・ディオニシオさんの『女を書けない文豪たち』の夏目漱石『こころ』を考察した章から一部抜粋して紹介する。
初々しい恋をする男の心の機微をこと細かに表現する漱石の筆力を改めて実感する。
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研究者がどう読み解いても、とどのつまり『こころ』は歴とした恋愛小説である。
「先生」はぴちぴちで可愛らしい娘に出会い、ドキドキして、嫉妬し、ときにはうじうじし、絶望するというふうに、感情のジェットコースターに乗って、初恋の甘酸っぱさを思う存分体験する。
有名な話だが、漱石が英語教師を務めていた頃、「I love you」を「我君を愛す」と訳した教え子に対して、「月が綺麗ですね、とでも訳しておけ」と言ったのだとか。その都市伝説を裏付ける証拠はなく、信ぴょう性は今ひとつとはいえ、情景までありありと思い浮かべることができる、素敵な訳文はいかにも漱石らしい。
若い子が照れている様子、はにかんだ笑顔、暖かくて湿った空気で満たされる夏の夜など、いろいろなイメージが頭を過る。
ずばり「愛している」や「好き」ではないけれど、そのときの自分にとってそれくらいかそれ以上の意味に感じられた言葉は、誰の記憶の中にでもあるはず。私の場合は、どうかな……。
しばらくやりとりをしていた相手が自分に興味を持っているか否かがわからず、痺れを切らして問い詰めた結果、「はい、下心あります」と言われたことがある。
告白としては下手すぎる。「下心」はそもそもその文脈に適している表現なのかがかなり微妙で、さらにロマンスのかけらもない。少し黙ってから勇気を振り絞って出てきた言葉はあまりに意外で、私は吹き出してしまい、それ以降、「下心」は二人の間で特別な意味を持つものとして使われるようになった。
好きな子にサンドイッチを突き出されて、「半分こしよう」と言われたときだって、ドキドキしちゃう。「明日も会おう」と言われたときだって、心臓が早鐘を打つ。
「恋」を感じるには、映画のワンシーンから切り取られたようなロケーションも、高尚な言葉も要らない。相手が好きだったら、どんなくだらないことを言われても大抵の場合はコロリと落ちてしまうもの。
「月が綺麗ですね」というのは、そのような小さな心の動きを捉えた表現だ。漱石はその瞬間を表すのが本当にうますぎて、だいたいどの作品をとってもうっとりする、「I love you」の名訳がそこら中に転がっている。恋愛小説らしく、『こころ』の中でも漱石が才筆を振るう場面は盛りだくさん。
「先生」は残された遺産を手に入れて、親戚と絶縁し、故郷を離れる。その後、東京の大学に通うための下宿を探すが、娘と二人で暮らしている未亡人から部屋を借りることになる。そこで「先生」は後に結婚するお嬢さんの静との運命的な出会いを果たす。