マネはいかに日本で受容されてきたのか? 「日本の中のマネ」展で見るその変遷
(1832~83)。その作品の、日本における受容の歴史を考察する展覧会「日本の中のマネ―出会い、120年のイメージ」が、練馬区立美術館で始まった。企画は小野寛子(同館主任学芸員)。
マネの影響は日本における洋画黎明期の美術家や批評家たちに見られるが、断片的に指摘されることはあってもまとまったかたちで示されることはなかったという。クロード・モネやオーギュスト・ルノワールなど印象派の画家たちに大きな影響を与えた画家として認識されながら、日本におけるこれまでの個展回数はわずか3回(1986、2001、2010)にとどまっている。
本展では、日本に所在する17点のマネの油彩画(パステル画を含む)のうち7点のマネ作品が出品。また、印象派や日本近代洋画、そして資料など約100点を通して、これまで断片的にしか語られてこなかった日本の「マネ受容」を多角的にとらえようとする試みだ。
展覧会は「クールベと印象派のはざまで」「日本所在のマネ作品」「日本におけるマネ受容」「現代のマネ解釈 ―森村泰昌と福田美蘭」の4章構成。
第1章「クールベと印象派のはざまで」は、写実主義(レアリスム)と印象主義の中間に位置するような立ち位置にあり、「どこに属する画家と考えるべきか」という問題がつねにつきまとうマネという画家を検証するもの。レアリスムを代表する画家ギュスターヴ・クールベから、クロード・モネやアルフレッド・シスレーら印象派の作品までを紹介することで、「モダニズムの画家」
として留まっていたマネ理解を前進させ、西洋近代美術史における位置づけを再考しようとする試みだ。
第2章「日本所在のマネ作品」は、その名の通り日本に現存するマネ作品を紹介するセクションとなる。マネはその短い生涯から作品数が少ないこともあり、日本における所蔵数はわずか18点(かつて日本に所在が確認されたマネ作品を入れても22点)と、決して多いとは言えない。本展においてその明確な理由は結論づけられていないものの、マネ作品所蔵の歴史が資料としてまとめられている点は非常に興味深い。
またこのセクションでは、明治期に美術商・林忠正が日本に初めて持ち込んだマネ作品である素描《裸婦》(制作年不詳)をはじめ、マネが日本の影響を受け描いた扇面画3点のうちの1点《白菊の図》(1881)、没する3年前に描かれた晩年の名品《散歩
ガンビー夫人》(1880-81頃)、そして数々の版画が並ぶ。
続く第3章「日本におけるマネ受容」。ここでは「美術批評・芸術論におけるマネ受容」と「具体的な作例に見出すマネ受容」のふたつに分け、マネ受容の歴史へとアプローチしている。
マネは日本において美術批評や芸術論においてまず受容されており、『しがらみ草子』第28号(1892)に掲載された森鴎外の「エミル・ゾラが没理想」で初めてその名前が登場する。本展ではこの資料のほか、明治期においてマネに言及した資料の数々を見ることができる。
いっぽう、「具体的な作例に見出すマネ受容」としては、石井柏亭の 《草上の小憩》
(1904)が代表的なものとなる。批評家でありながら画家でもあった石井は、草の上で寛ぐ4人の少年少女の様子を描きとめた。タイトルからも明白なように、これはマネの代表作である《草上の昼食》(1862-63)に感化されたものであり、石井の代表作だ。
このほか、同じく《草上の昼食》に影響を受けたと思われる村山槐多の《日曜の遊び》(1915)や安井曾太郎の《水浴裸婦》(1914)、《カフェにて》(1878)を部分的に模写したと考えられる山脇信徳の《男女人物像》(1925-29)、《オランピア》(1863)からの影響が色濃い熊岡美彦の《裸体》(1928)、片岡銀蔵《融和》(1934)などが展示。タイトルなどから受容の根拠を示すことができる作品だけでなく、「感覚的に関係性がとらえられる作品」も展示されている点が興味深い。
終章にあたる第4章「現代のマネ解釈
―森村泰昌と福田美蘭」は、日本の現代作家がマネをいかに解釈したのかを探るもの。その代表例として、森村泰昌と福田美蘭の2作家の作品が展示されている。
これまで8点のマネを題材とした作品を発表してきた森村。図録に収録されたインタビューのなかで、マネを「謎めいた画家」としながら、「マネからもらった宿題はまだまだたくさん残されているような気がするのです。すくなくともあと2作は作らないと、と覚悟はしています」と述べている。
本展では、《すみれの花束をつけたベルト・モリゾ》(1872)をモチーフにした《肖像(娘Ⅱ)》(1988)をはじめ、《笛を吹く少年》(1866)をモチーフにした《肖像(少年1、2、3)》(1988)、《フォリー・ベルジェールのバー》(1882)をモチーフにした《美術史の娘(劇場A)》と《美術史の娘(劇場B)》(ともに1989)、そして《オランピア》をモチーフにした《肖像(双子)》(1989)と《モデルヌ・オランピア》(2017-18)などが並ぶ。とくに《フォリー・ベルジェールのバー》(1882)をモチーフにした新バージョンの《劇場
2020》(2020)からは、森村がモネに対して現在進行系で挑んでいる姿が伝わってくるだろう。
いっぽう福田は今回、《草上の昼食》の登場人物の視界を想像して描いた旧作《帽子を被った男性から見た草上の二人》(1992)のほか、数々の新作を本展にあわせて発表した。いずれも力作だが、なかでもとくに注目したい作品を紹介する。
《つるバラ「エドゥアール・マネ」》(2022)は、ネット上で見つけたマネの絵画と、2016年に作出されたバラ「エドゥアール・マネ」の画像を組み合わせたもの。福田は複製図版からイメージを自在に選んだマネの手法が今日的であることをあらためて認識したという。
《ミュージアムショップのマネ》(2022)は、福田が都内のミュージアムショップを巡った際にマネのグッズが極端に少ないことに気付いたことから着想されたもの。マネの静物画の灰色のなかに、数少ないグッズが静かに並ぶ。
《立体複製名画
マネ「オランピア」》(2022)の題材は、よく見る複製名画の広告チラシ。そのなかにラインナップされた《オランピア》は、左右がトリミングされた不自然なものだ。福田はこの事実をそのまま作品として構成。オランピアのオリジナル作品縮小プリント、立体複製名画、そして広告チラシの3点を並べて作品化した。《ミュージアムショップのマネ》とともに、鑑賞者が望むものとマネの受容のギャップが、ここではつまびらかにされている。
マネのサロンへの強いこだわりを、身を以て体現しようとするのが《LEGO Flower Bouquet
》(2022)だ。マネが死の1年前、闘病中に描いた小作品《花瓶の苔バラ》へのオマージュとして制作された本作。レゴでつくられた花を描くことで、本物の花の美しさを強く認識させる作品だ。福田はこの作品を「日展」(サロンを意識してつくられた明治期の文展がその起源)へ出品し、審査を受ける。入選すれば、そのまま日展会場に展示されるという驚きの発想だ。日展を毎年見ているという福田は、本作によって「サロンとは何か」を考察するという(本作は審査搬入のため10月13日までの展示。選外の場合は10月30日から再び展示される)。
《帽子を被った男性から見た草上の二人》(1992)制作時、「マネの本質的な部分を考えずにつくっていた」と語る福田。本展にあたり、福田はマネの受容について考えることで、「初めてマネと出会った」という。「マネは逸脱した絵画なのに、表面的にはそれがわかりにくい。日本は一見マネの絵画を見ているようで、その本質にまったく触れることなくきてしまった。それがこの展覧会で明らかになっている」。
福田のこの言葉に表されるように、「マネ」というわかっているようでわかっていなかった存在に光を当て、受容の歴史というこれまでにない視点から日本とマネの関係を紐解く本展。ぜひ美術館へ足を運び、「マネと出会って」みてほしい。