『新しい声を聞くぼくたち』河野真太郎著 評者:カツテイク【新刊この一冊】
背が低く肌も弱い「ザ・文系」の私は、そのたびにどこか居心地の悪さを感じていた。そこで男らしさ、男であることのイメージである「男性性」について書かれた本書を手に取ってみた。
本書は「ポストフェミニズム状況における男性性」をテーマに据えたものだ。懐かしの『羊たちの沈黙』から『鬼滅の刃』のような最新作まで、映画や漫画などに描かれる「男性性」を、様々な批評理論を参照しつつ考察していく。
ポストフェミニズムとは、女性の権利獲得が(現実問題はさておき)とりあえずは実現されたと仮定して、女性がそれぞれ労働市場の中で活躍し、消費者として主体的に選択をすることで自己実現を目指すという考え方。これに対応した男性性が描かれている作品の一つが、1988年公開の映画『ダイ・ハード』だ。
主人公マクレーン刑事の離婚寸前の妻ホリーは、舞台となる高層ビルの日系企業で成功している「ポストフェミニズム」的人物。そんな妻を、ビルを占拠したテロリストによって人質に取られたマクレーンは、泣き言を吐きつつもビルの外にいる黒人警官と協力しながら事件を解決する。それはマイノリティ・多文化主義を利用することで、キャリアウーマンより人間味がある男性、というイメージを作り、「男性性を保障」していると著者は書く。
このように男性性は(もちろん女性性も)、ただの個人の意識でなく社会や文化と連関しているもの。ゆえに本書は、現代社会が抱える主要な問題の整理にもなっている。
主だったものを挙げると、労働・障害の意味の変化、能力主義、階級問題、高齢化社会、福祉国家から新自由主義への移行などだ。それに応じて変化してきた男性性は非常に複雑で、何が正解だとは言いにくい。
例えば家事・育児を率先して行う「イクメン」はフェミニズムに対応した「新たな男性性」と言えるが、育休制度が充実した企業の正社員や高収入フリーランスなどの「勝ち組」でなければ実践は困難だ。職業や収入を問わない「新たな男性性」を社会全体へ広げていくにはどうすればよいか?
この問いに対し、著者はイギリスの批評家レイモンド・ウィリアムズの唱えた概念である「共通文化」を応用していく。それは、自然に成長するだけでなく育成することも可能な、「生の全体的なあり方」としての文化を指す。
つまり、主体的に「新たな男性性」を学び、さらにそのものを変化・拡張させることで、社会全体を変化させていけるのではないかと、著者は希望も込めて書く。変化のプロセスには社会を構成する皆が参加するのが望ましく、そこで学びの共通の土台となり得るのが、映画、漫画、ドラマ、小説といった作品たちなのだ。
どうやら私の名前に付き纏う男性性も、脱ぎ捨てるものではなく、学び、変化・拡張させていくもののようだ。「実践」は人それぞれだろうが、私が周囲の男性に日傘を勧めているのも「共通文化」における変化のプロセスの一つなのかもしれない。
(『中央公論』2022年9月号より)
【著者】
◆河野真太郎〔こうのしんたろう〕
1974年山口県生まれ。専修大学教授。東京大学大学院人文社会系研究科欧米系文化研究専攻博士課程単位取得満期退学。
博士(学術)。専門は英文学、イギリスの文化と社会。著書に『戦う姫、働く少女』など。
【評者】
カツテイク〔かつていく〕
1985年新潟県生まれ。まだ邦訳されていない最新の英米文学を紹介するブログ「未翻訳小説を頑張って日々読んでいる日記」と自主音楽レーベル「Kaiser The Dog Records」を運営。