「平成ロードショー」 全身マヒとなった記者、映画評に愛を込め
矢部さんは1963年生まれ。毎日新聞西部本社学芸課長として働いていた2014年に脳梗塞(こうそく)と脳出血を発症し、19年に退職した。
私は学芸課員として、課長の矢部さんに仕えた。企画力に優れ、西部本社を代表するコラムの名手。私の抱く矢部さんのイメージだ。仕事で付き合いのあった直木賞作家の故・葉室麟も矢部さんの手腕を高く評価していた。
誤解を恐れずに言えば、九州・山口・沖縄をカバーする西部本社の学芸課に、映画記者はいなくても困らない。映画評は東京の映画記者の原稿を載せればそれで済むからだ。しかし、矢部さんは病に倒れるまで西部独自の映画評を書き続けた。朝日、読売を含め、西部の全国紙で最後の映画記者、それが矢部さんだった。
本書に収められた映画評はジャーナリストらしいまなざしが随所に光る。例えば、黒人刑事が主人公のアクション映画「シャフト」(00年、米国、ジョン・シングルトン監督)の評。<我慢や辛抱は日本の美質なのだろう。しかし過ぎたるは及ばざるがごとしで、過労死や上司に物申せぬ組織体質の土壌にもなっている>。こんな出だしから始まり、物語の少々乱暴な展開に言及しつつ、主役のサミュエル・L・ジャクソンの好演が全体を支えていると指摘。<見終えてスカッとできる。と同時に、会社や上役の理不尽、政治や経済のおかしな現状に「もっと怒ってもいいんじゃないか」と思えてくる>との締めくくりは、現代においても説得力を保持している。
「ジョゼと虎と魚たち」(03年、犬童一心監督)を鑑賞し、<二、三日たっても、思い出しては泣けた>矢部さんは情に厚い。文章には矢部節とも言うべき独特のリズムが刻まれ、人間賛歌のメッセージが読み取れる。
毎日新聞西部本社版で「眼述記 脳出血と介護の日々」を連載中の妻、高倉美恵さんがイラストを担当。「解説にかえて」で高倉さんが記す通り、定額制の配信サービスで映画に触れる機会が増えた今、作品を選ぶガイド役としても本書は利用価値がある。
1980円(税込み)。【渡辺亮一】