マツモト建築芸術祭、2度目の冬。17作家が参加
松本市内の観光業に携わる有志が主催する民間主導のこの芸術祭。総合ディレクターは前回同様、様々な展覧会の展示空間デザインを手がける有限会社ナノナノグラフィックス代表・おおうちおさむが務める。今年は1会場1アーティスト形式で19会場に17作家が参加。なかでもとくに注目したい会場をピックアップしてご紹介しよう。
松本館✖️福井江太郎
1890年創業の老舗料亭「割烹 松本館」は、目黒雅叙園に感銘受けた2代当主が松本出身の彫刻家・太田南海に設計監修を依頼してつくったもの。会場となる大広間は99畳あり、天井まで豪華絢爛な装飾で彩られている。ここで作品を展示するのは福井江太郎。芸術祭への参加は今回が初めてだ。96年以来、ダチョウをテーマに作品を制作してきた。
「動物としてのダチョウを描きたいと思ったのが発端ではありません。小さな顔と大きな顔、直線と曲線、紙の白とダチョウの黒、というような、相反する要素が含まれることから、これは絵になるぞと考えて描き始めました」と説明する福井の大作《flightless
Ⅰ~Ⅳ》は、2011年にドイツミュンヘンで滞在制作したもの。東日本大地震発生直後に描かれた本作について、福井はウクライナ戦争やコロナなどの脅威が広がる現在、この作品を発表できることに「芸術の不思議な力を感じている」と話す。日本初公開の大作と濃密な空間とのマッチングを楽しみたい。
松本市役所本庁舎展望室✖️中島崇
マツモト建築芸術祭は各会場の距離が近く、展示間を移動しやすいのも特徴のひとつだ。歩いて3分ほどで次の会場、松本市役所へ。松本城を一望できる市役所の展望室。階段を登り向かうなか、天井に現れるのが中島のインスタレーション《bane
tree》。「悩みの木」を意味する本作。よくない状況を変えるために考えるときに人は悩む。悩みはマイナスな状況からポジティブへと向かう第一歩ととらえた中島は、マンガやアニメなどで悩みを表すクシャクシャとした表現を、黒い梱包用テープを駆使した空間作品として展示。窓外の松本城の黒とインスタレーションの黒い素材がシンクロする。
旧小穴家住宅✖️鬼頭健吾
前回も参加した鬼頭健吾が展示を行うのは、大正時代に建てられた旧小穴家住宅。2020年より空き家となっていたこの建物。ハウスメーカーに売却予定だったところを、建物の保存利用を強く望む若い弁護士の所有となり、2022年に国登録有形文化財に指定され保存されることが決まった。「絵画」から派生し、フラフープなどを用いて空間にも表現を展開する鬼頭は、円形のLEDライトをキャンバスに組み合わせた作品を和室に、透過性のある電飾看板に着彩した作品を裏手のガレージに展示した。
旧司祭館✖️CALMA by Ryo Okamoto
長野県宝である旧司祭館では、CALMA by Ryo
Okamotoが全館を使った展示を見せる。かつてイギリス縦断のヒッチハイクや、アラスカで1000キロの川下りをした経験をもつ作家は、「未来に続く現代とは何か?」を作品テーマとする。ある部族の暮らしをアーカイブする博物学のアプローチで、現代の人類が用いる道具や信仰対象を未来人に向けて残す方法で展示する。入ってすぐに来場者を迎えるフクスケについて作家はこう説明する。
「フクスケは大阪の西成に実在した障害者の子供です。不具合があるのでフグスケと呼ばれて見世物小屋で働かされていたんですが、愛嬌があったらしく、気に入った地元の商売人が引き取って連れて帰ったらしいんです。そうしたらお店が繁盛して、福を呼ぶからフクスケやと可愛がられたんです。それから結婚もして、亡くなるとみんなが悲しんで、フクスケという可愛らしい子がいたのをキャラクターに残したんです」。
人間に必要な多様性を象徴するものとしてフクスケを作品化したCALMA by Ryo
Okamoto。多様性をはじめ、現代を象徴するいくつかのキーワードと結びついた作品群を通じて、現代と未来をつなごうと試みる。
池上百竹亭茶室✖️ステファニー・クエール
1958年、呉服卸商である池上喜作の邸宅として建てられた池上百竹亭。露地や竹林が閑静な空気を醸す庭を抜けたところに位置する茶室に、イギリスのマン島出身のクエールの作品が佇む。自然の豊かな島に生まれ、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートで彫刻学科修士課程を修了したのちもマン島のアトリエで制作を続ける彼女は、動物の本来の姿にこだわり土をこねる。クエールの手によるサル、カエル、ウサギが、人々の寝静まる夜を静かに待っているかのようだ。空間構成は、華道家の上野雄次によるもの。
旧油三洋裁店✖️ヨーガン・アクセルバル、amachi.(吉本天地)
昭和初期に建てられたと思しき洋裁店には、ファッションブランドamachi.の服を配したインスタレーションと、スウェーデン出身で現在は東京を拠点に活動する写真家のヨーガン・アクセルバルがその服を市内で撮影した写真作品が展示されている。コラボレーションをキャスティングしたのは、総合ディレクターのおおうちおさむ。
地元の商店街の店主にamachi.の服を着せたモデル撮影と、商店街をロケハンしてブツ撮りを実施したが、「初めてのコラボレーションもスムーズに進んだ」とamachi.デザイナーの吉本天地は話す。洋裁店のかつての仕立屋の仕事の痕跡が空間を包み、amachi.の服やインスピレーションソースである自然物、さらには、写真に写る商店街の人の姿など、有機的に建物の歴史や街の要素が結びつく展示が実限した。
旧三松屋蔵座敷(はかり資料館)✖️ドローグデザイン
松本市近代遺産である旧三松屋蔵座敷(はかり資料館)には、オランダのデザインレーベルにして、90年代に世界から注目されたダッチデザインの中心にいたドローグデザインの作品が並ぶ。ノーデザインの精神で「何色にも染まらない、ユーモアとウィット、そしてちょっぴりの皮肉をあなたの日常に」をコンセプトに活動を展開。古いミルクボトル12本を束ね、ミルクケースに並んだ状態のまま照明器具となった《milk
bottle lamp》や、壁にポスターや写真と一緒に貼り付けてインスタントに額装を楽しむ《do frame
tape》など、レーベルのコンセプトを体現した作品に笑いがこぼれてくる。
レストランヒカリヤ✖️後藤宙
国登録有形文化財で松本市近代遺産にも登録されている、1887年に名門商家である平林家によって建てられた古民家。20棟の蔵が次々に取り壊されていったが、「人が集う場所として建物を生き返らせたい」と考えた現在のオーナーが、母家と1棟の蔵を日本料理の「ヒガシ」とフランス料理の「ニシ」という2軒のレストランとして再生した。
蔵に展示されているのは、後藤宙(かなた)の作品。幾何学や法則性などが生むシンボリックな印象に着目し、中心の在と不在、動きの繰り返しから生まれるモワレなど、鑑賞者が受け止める視覚情報とそこから発生する新たな錯覚的な要素も含めて作品となっている。
下町会館✖️青木悠太朗
1928年に青柳化粧品店として建てられた木造3階建ての建物は、竣工から60年ほど経った頃に老朽化により解体を迫られていたが、この通りの街並みになくてはならないものとしてファサード部分の保存が決定。新築した鉄筋コンクリートの建物にファサード部分を接合し、1995年には下町会館としてリニューアルオープンした。
ここで展示をするのは、彫刻家の青木悠太朗。2018年より2年間、メキシコシティを拠点に制作活動をしていた青木は、毎日の緊張から体調に不安を抱え続け(腹痛)、危険と隣り合わせで過ごす日々のオアシス(トイレットペーパー)を彫刻で表現した。作品名は、《Oasis=H》。トイレの壁にトイレットペーパーを設置するためのホルダーを巨大な木彫で仕上げた。そして今回出展した最新作のタイトルは《マツモト》。松本市内に住む母親の友人から、静岡の実家には毎年たくさんの贈り物が届いていた。それはりんごかもしれないし、桃かもしれない。母親と青木はいつもそれに魅了され、お返しを送っていた。そのやり取りのかけがえのなさをかたちにしたのが、この作品だ。飄々と作品説明をする青木の手から、これから先どのような作品が生まれるか。注目していきたい。
上土シネマ✖️河合政之
1917年に松本電気館として開館した映画館が、何度かの改装や館名の変更を経て、2002年に上土シネマとして再開館した。しかし、周囲の環境変化や建物の老朽化により、2008年に閉館。2016年に松本市近代遺産に登録された。作品を展示するのは、ヴィデオアーティストの河合政之。25年前にミュージシャンから転身する際、1年間にわたり東京の街の音を収録し、ひたすら聞き返すことで自分の内部をリセットしようと試みた。そして、シーンごとに色付けして映像化した実質的なデビュー作《かたちのない映画》を、原点回帰するかのように松本バージョンとして再制作して展示する。
そしてもうひとつ、会期中に行われる《ヴィデオ・フィードバック・ライブ・パフォーマンス》は、20~30年前の映像機材を数十台つなぎ、変則的なループ回路を構成する。意図するのは、予測不可能なノイズの増幅。作家は各機器のつまみを調整しながら、音と光によるノイズに変化を与え続ける。
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展示されたアート作品をただ楽しむのではなく、アートを通して街に残されている名建築に目を向けさせる「マツモト建築芸術祭」独自のアプローチ。芸術祭がどのように地域と関係を結べるかという可能性のひとつに、市内の展示を回りながら思いを巡らせたい。