野見山暁治さん、故郷・筑豊の産炭地原点に…「目にした風景の記憶から描いている」
2月、福岡市の福岡県立美術館で開かれた個展の際、野見山暁治さんが、来場した母校・県立嘉穂高の付属中の生徒たちに語りかけた言葉が耳に残っている。
「大人になると、分別がついて絵が説明的になる。山の形ではなく、山の持つ大きさや強さを画面で表現できなければ、絵を描いていることにならない」とも話された。
画面いっぱいに描かれる、黒や赤、青や黄の力強い線。野見山さんの絵は、抽象画と評されることもあるが、ご本人は決して抽象的なものを描いているわけではないと言う。「目にした風景の記憶から描いているのであり、心象風景なのです」
原点にあるのは、故郷の福岡・筑豊地方で見慣れた産炭地の情景だ。「僕の中の自然は加工され、炭鉱の煙や蒸気が一体になっている。だから僕の絵の中には優美なもの、柔らかいものは一切ない」と語った。
優しい人柄で、折にふれ、丁寧なはがきをいただいた。読み返す中で、昨秋の日付が残る一葉に目が留まった。
〈育った土地というのは、照れくさいものです。正直いって逃げ出したい。しかし嬉しい。飯塚もすっかり変わりました。あの気性の荒々しい人々の住んだ町でもやはり沁々とします。〉
野見山さんが、描く対象をとらえるまなざしの根底にふれた思いがした。(白石知子)