山梨・吉田胎内樹型の龍神像、初の公開 富士山信仰伝える家で保管
吉田胎内樹型は、富士山噴火の溶岩流が流れ下る時に樹木が焼失することでできた溶岩洞穴で、1892年に発見された。内部が人の胎内に似ていることから「胎内」と呼ばれ、富士山信仰の対象となってきた。龍神像の制作者は不詳だが銘文には「明治26年(1893年)8月、水野藤治良 先達 水野力蔵」などと刻まれた文字が残る。
梅谷家は富士山登拝者の世話をしたり祈とうで神との仲立ちをしたりした御師の街の中の「中宿」地区にあり、安土・桃山時代には御師としての活動が確認されている。昭和30年代中ごろまで梅谷家から吉田胎内神社の神官を務めた当主も出ており、龍神像はそのころに吉田胎内から梅谷家の2階に移されて、大切に守られてきた。
2021年、地元の自治会の広報誌で龍神像を紹介したことで関心が高まり、今年のゴールデンウイークから公開に踏み切った。
葛飾北斎が肉筆画「富士越龍(ふじこしのりゅう)」を描くなど富士山と龍は関係が深い。龍神像は高さ約80センチ、横幅約70センチで、細部まで意匠がこらされ今にも動き出しそうな力感にあふれている。会場には絵師としても活躍した御師の絵画や、富士スバルライン開通前の吉田胎内神社などの写真も展示されている。
梅谷家の梅谷時子さん(71)は「龍神様が安産の祈願場所となる吉田の胎内樹型の神社にあったことを広く知らせたい」と話している。公開は午前9時半―午後4時、不定休。見学無料。