''思春期の女の子''を背負う、はじまりから紐解く村田沙耶香の小説世界
2003年に群像新人文学賞でデビューされてから20年。どんなときもまっすぐに小説と向き合い、書き続けてきた村田沙耶香さん。岩川ありささんを聞き手に迎えた村田沙耶香さんのロングインタビュー「小説を裏切らず、変わらずに書き続ける」(「群像」2023年6月号掲載)を再編集してお届けします。
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岩川 デビュー二十周年、本当におめでとうございます。今回のインタビューでは、村田さんの小説の世界についてお話を伺っていきたいと思います。
村田さんは、二〇〇三年、「授乳」で第四十六回群像新人文学賞優秀作を受賞なさいました。「授乳」は、語り手の直子さんと家庭教師の先生との関係を軸にして展開されます。これは横浜文学学校で書いた小説ということですが、群像新人文学賞に応募して、受賞なさったころのことについてお話しいただけますでしょうか。
村田 「授乳」を書いたのは大学生のころです。小学校、中学校と小説を書いていて、高校受験で小説を書くのを自分に禁止したままスランプで書けなくなり、横浜文学学校という小説の勉強会のようなところに通って、また書けるようになったときの作品です。
当時、文学学校の方は小説家を目指しているというスタンスの方は私の記憶ではほとんどいなくて、でもとても尊敬している先輩がたまに文学賞に応募していらしたんです。その方は、「とくに小説家になることは考えていないけれど、応募作が通過すると、書きたいことが読み手に伝わっているのかどうかわかるんじゃないかと思って、腕試しみたいな感じです」とおっしゃっていて、そうなんだ、と思ったんです。
私は中学生の頃、少女小説家になるために応募用の小説を書こうとして、「小説を汚した」と感じたことがあってトラウマになっていました。でも、その感覚なら自分にもできそうだと感じ、短篇を群像新人賞に応募しました。
岩川 「授乳」の前の「妖精の唇」という小説も横浜文学学校で書かれたそうですね。そこで宮原昭夫さんに文学、小説を教わったとのことですが、どんな先生、あるいはどんな授業だったのでしょうか。
村田 先生は本当に書き手と小説を大事にしていらっしゃる方で、「書き方を教える」ということは多分傲慢かつ不可能と考えてらっしゃるんじゃないかなと感じています。なので、提出された作品を分析して、「でもこれは僕ならこう書くというだけなのです。授業の題材にして無責任で勝手なことを言ってすみません」といつも作者の方におっしゃっていました。