古今東西 かしゆか商店【熊野筆】
日本の上質な化粧ブラシとして知られる広島の手仕事、熊野筆。以前から親しみを感じていた熊野筆の原点が、実は「書筆」だと聞いて、もっと深く知りたくなりました。
今回訪れたのは、広島県安芸郡熊野町の〈仿古堂〉。創業明治33年(1900)の老舗です。
「熊野筆の始まりは江戸時代末期。熊野盆地の農家さんたちが、冬になると和歌山へ出稼ぎに行き、奈良や有馬の筆を仕入れて行商をしていたそうです。その後、熊野でも筆作りが始まって、明治時代には全国へ広まりました」
そう話すのは香川翠皐さん。熊野町で生まれ育ち、60年以上も筆作りに携わってきた伝統工芸士です。
工房にお邪魔して驚いたのは、書筆の材料になる天然毛の種類。鹿、馬、狸など、たくさんの毛が並んでいます。いちばん気になったのは、真っ白な羊毛……と言っても羊ではなく中国の山羊の毛です。ふわり、しっとり、手に吸い付くような柔らかさ!
「一頭の山羊でも部位によって毛質が違うでしょう? 作りたい筆の種類や書き心地にあった穂先を作るために、毛の長さや毛質を選別して”ブレンド”するんです。毛を知り尽くし、目と手指で見極めるのが伝統工芸士の仕事です」
続けて見せてもらったのが、毛に籾殻の灰をまぶし、「火熨斗(ひのし)」というアイロンで熱を加えて揉み込む”毛もみ”。灰と熱で表面の脂や汚れを落とす工程です。その後も「ハンサシ」という刃物で毛先をさすりながら曲がった毛を取り除いたり、「寸木(すんぎ)」という物差しを当てて毛を切って長さを揃えたり。完成までに73の工程があり、それぞれの手加減によって墨の含み具合も変わってくるそうです。
印象的だったのが、筆軸の中へ入れる穂首の根元部分を「固めて締める」工程。根元を麻糸で結び、焼きごてを当てると、白い煙がモクモク立ち上り、焦げた匂いが広がります。その麻糸を歯でぐーっと引っ張る香川さん。全身の力で作っていることが伝わってきます。
「筆は繰り返し使うものだから頑丈に作らないとね。軸に隠れる部分を丁寧に固めておけば、安心して長く使えます。見えないところに良い仕事をしないとダメ。それはお客様が一番よく知っています」
今回は、香川さんのお名前にちなんだ書筆「緑風」を買い付け。穏やかな香川さんがつぶやいた、「ずっと格闘中です」というひと言が、心に響きます。