【Photos】宗像大社:日本人の祈りの原点を現代に伝える聖域
玄界灘の沖合に浮かぶ沖ノ島には、大和朝廷が国の安寧を願う祭祀(さいし)を執り行った遺跡が今でも残されている。そのため島全体がご神体とされ、一般の入島は厳しく制限されている。2017年に世界文化遺産に登録された「神宿る島」を静謐(せいひつ)なモノクローム写真で紹介する。
2016年の年明け早々、一本の電話が入った。九州でイベント会社を経営している知人からで、宗像大社(福岡県宗像市)を撮影してほしい、というのだ。しかし僕はその春に写真展を2つ控えていてほとんど余裕がなかったし、2006年から2014年まで出雲大社と伊勢神宮の遷宮を撮影していたので、しばらくは神社の撮影から離れようと思っていた。
無碍(むげ)に断るのも失礼だと思ったので、まずは宗像大社のことを少し調べてみることにした。関連書籍やネットで宗像大社の歴史を知るうちに、何よりもまず沖ノ島が僕を引きつけた。文明社会に侵されていないその島は、今も古代の祈りの形がそのまま遺(のこ)されているという。海の向こうで未知の世界が僕を待っている。そう思うと矢も盾もたまらず、福岡便に飛び乗った。
2月19日、小型ボートをチャーターして沖ノ島に渡った。禊(みそぎ)のために素っ裸で海に入る。真冬の玄界灘は身を斬られるような冷たさだ。いよいよ沖ノ島での撮影が始まるのだ。古来いくつもの禁忌に守られた“神宿る島”。一般の立ち入りが厳しく禁じられているこの島で極寒の海に漬かりながら、どんな神の気配を感じることができるのかと期待に胸が高鳴る。
島の中腹にある沖津宮(おきつみや)に向かう。鬱蒼(うっそう)と茂る原生林の中にある急峻(きゅうしゅん)な石段を登り、ようやくたどり着いた沖津宮は巨大な岩と岩の間にひっそりと佇(たたず)んでいた。沖津宮の社務所には神職がただ一人、日々の奉仕を行うため10日交代で滞在しているという。
沖津宮の奥はさらに神秘的な領域で、4世紀後半から9世紀の祭祀遺跡がそのままの状態で遺っていた。岩の上、岩陰、土の上などが、社殿を持たない祭場だという。そこには祭祀に使われた勾玉(まがたま)や鏡、陶磁器などの破片が散らばっている。中には原形をとどめているものもある。沖ノ島には、一木一草一石たりとも持ち出してはならぬ、という厳しいおきてがあり真摯(しんし)に守り継がれているため、遺物が当時のままに残されているのだ。
こうした光景を目の当たりにして、この純粋で素朴な祈りの場、これこそが自然崇拝に根ざす日本人の信仰のルーツなのだと直感した。古代の人々は、万物に宿る神(霊性)の存在をもっと身近に感じながら生きていたのだろう。写真を通して、大切に守られてきた祈りの形をゆがめることなく伝えなければならない、と肝に銘じた。