「鎌倉殿」の御所を知る手がかり 大倉幕府周辺遺跡で説明会
市によると、昨年春、土中にある水路の改修工事のために調査したところ、遺跡が見つかった。周辺は頼朝、頼家、実朝の3代が暮らした御所があったとされるが、すでに住宅地などが整備され、めったに発掘調査をすることができないだけに、鎌倉時代の当時の建物などの様子を知る貴重な手がかりとなった。
遺跡は南北に約50メートル、東西に約2メートルの範囲で、深さ約3メートルほどの下の地層まで掘られた。160~200センチの間隔で並ぶ縦横80~120センチの四角い大きな5つの穴と、狭い間隔で並ぶ直径約30~50センチの無数の小さな穴を確認。道路とその脇の溝のような構造物も見つかった。大きな穴では、柱などが沈下しないようにするために敷かれていた石や木の板も見つかった。
市によると、穴の位置関係から御所の西門があった場所である可能性が高く、鎌倉時代末期以降に広くみられる「薬医門」に似た形だったとも考えられている。溝からは戦国時代の磁器なども見つかっていることから、実朝が暗殺され、幕府が別の場所に移転した以降も道路は残り、利用されていたことがうかがえるという。
市は今月8日に3回目となる説明会を開催。約480人が詰めかけ、横浜市から来た70代の女性は「歴史の重みを感じる」と感心していた。風雨にさらされたままでは傷むため、遺跡は詳細な調査が終わり次第、再び土中に埋められて保存される。鎌倉市は8月19日に鎌倉生涯学習センターで遺跡調査研究発表会を開く。