【古典俳諧への招待】 万歳(まんざい)や踏かためたる京の土 ― 蕪村
俳句は、複数の作者が集まって作る連歌・俳諧から派生したものだ。参加者へのあいさつの気持ちを込めて、季節の話題を詠み込んだ「発句(ほっく)」が独立して、17文字の定型詩となった。世界一短い詩・俳句の魅力に迫るべく、1年間にわたってそのオリジンである古典俳諧から、日本の季節感、日本人の原風景を読み解いていく。第2回の季題は「万歳」。
万歳や踏かためたる京の土 蕪村
(1770年3月以降の作、自画賛「万歳図」所収)
「笑う門には福来たる」という諺(ことわざ)がありますが、新年は笑顔で迎えたいもの。現在の「漫才」に季節感はありませんが、その元になった「万歳」は、お正月のものでした。
舞手の「太夫(たゆう)」と鼓を持ったおどけ役の「才蔵(さいぞう)」が 2人1組で家々を回り、滑稽な問答で笑わせ、舞や祝い言葉で家内安全や長寿を願う芸能だったのです。
画家であり俳人でもあった蕪村は、「俳画」と呼ばれる作品を数多く残しています。この句も「万歳図」(重要文化財)と呼ばれる俳画に収められたものです。満面の笑みで舞う太夫と、鼓を打ち、合いの手を入れる才蔵の表情に、見ている側も思わず顔がほころんでしまいます。
画像左上の蕪村の署名には「洛夜半亭(らくやはんてい)」とあります。「洛」とは京都のこと。蕪村が京に住んで「夜半亭」を名乗った1770(明和7)年以降の作品でしょう。現在は途絶えてしまいましたが、奈良県北西部の村々を拠点とする大和万歳が、正月になると京の都に出向いて芸を披露したそうです。
句は「たくさんの万歳が昔から正月ごとに祝言の舞を舞い、しっかりと土を踏み固めたので、京がめでたい堅固な都となった」という意味。大地を踏むのは、邪気を払いその地の人々を祝福する儀式でもありました。千年の都である京都をことほぐ誠にめでたい句です。
深沢 了子
聖心女子大学現代教養学部教授。蕪村を中心とした俳諧を研究。1965年横浜市生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。鶴見大学助教授、聖心女子大学准教授を経て現職。著書に『近世中期の上方俳壇』(和泉書院、2001年)。深沢眞二氏との共著に『芭蕉・蕪村 春夏秋冬を詠む 春夏編・秋冬編』(三弥井書店、2016年)、『宗因先生こんにちは:夫婦で「宗因千句」注釈(上)』(和泉書院、2019年)など。