風船爆弾のゆくえは 「さばかれえぬ私へ」展
竹内は第二次大戦中に日本軍が使った「風船爆弾」の行方を追うインスタレーションを展示した。風船爆弾は紙製の気球に水素を充塡(じゅうてん)し、焼夷(しょうい)弾をぶら下げた兵器。昭和19年秋から翌春まで約9300発が日本から放たれ、うち1割ほどが北米大陸に渡り、民間人6人が犠牲となったという。
打ち上げ地の一つは、竹内が住むいわき市の海岸。では風船はどこに落ちたのか。米軍の報告書などから場所を推定し訪ね回った。くしくも、原子爆弾に使うプルトニウムを精製していたワシントン州のハンフォード・サイト近辺で目撃情報が多く、竹内はうち一カ所の写真300枚を貼り合わせ、実際と同じ直径10メートルの「風船」を再現した。
「遠隔技術と人間の関係を考え直すきっかけになれば」と竹内。今もウクライナでは軍事用ドローンが飛び交っている。身近なネット空間にも、見えない相手を攻撃する欲望は渦巻いていると竹内は指摘する。
志賀は、東日本大震災の復興計画に圧倒され続けた12年間の現地の葛藤を、人間の「歩く」営みに立ち返り、映像インスタレーションなどに昇華させた。人々が背負ってきた数々の犠牲や不条理、それらをはねのける強靭(きょうじん)な精神力…。膨大なイメージと声、言葉が、切実さをもって、見る者に迫ってくる。6月18日まで、月曜休。