大の男も泣き崩れた? 人生の名人にして夭折の天才歌人・石川啄木の心に染みる傑作!
人生と生活に密着した彼の純粋な作風は、いまでも多くの読者に親しまれている。その歌は、一首を三行に分かち書きしたもので、一見すると、短歌に疎い人も読みやすく感じるかもしれない。そんな啄木の傑作とは何か。日本を代表する歌人・前川佐美雄が紹介する(以下では、『秀歌十二月』を引用する)。
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東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹(かに)とたはむる
(歌集・一握の砂)石川啄木
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明治四十三年十二月刊行の歌集『一握の砂』の巻頭歌。有名な歌であるから知らぬ人とてなかろうけれど、函館市外の立待岬(たちまちみさき)にある墓碑に刻まれている。その「東海の小島の磯」は函館付近の海を心に置いて作ったのだろう、というのが定説になったからである。
これに反対しようとは思わぬし、それであって少しもさしつかえはないのだけれど、なおそこで作った歌だときめつけてしまうことに異存がある。啄木自身は何もいってはいないのだし、いっていないからこそかえって自由に読者はその「東海」を、「小島の磯」を思いえがいて、存分に歌の心にはいりうるのだから、よけいな穿鑿(せんさく)はせぬことだ。
啄木の真意にそむくなかれと注意を促したいが、中にはおうおう行きすぎがある。何でもないことに深い意味や事件の存在を考えたりして、純粋な鑑賞のさまたげをする。とくに啄木研究者と見られる人の中に多いが、心すべきではなかろうか。
一首の意は明らかである。「東海の小島の磯べの寄せては返す波うちぎわの白砂の上に、自分は涙に泣きぬれながらこのようなカニと遊びたわむれている」と、たわいないしぐさを正直にいい放ってひとり嘆きをしているのである。
人はそれに心をひかれるので「蟹とたはむる」など児戯に類する、まして「われ泣きぬれて」などもってのほかだ、いたずらなる感傷にすぎぬという人すらが、さりげなきふうをよそおいながら心ひそかに愛誦している。
表に出していわなくとも、心のくずおれた時など、大の男といえども何をしておるかわからぬものだ。ただはばかって口にしないだけのことだが、啄木は正直なのだ。純粋なのである。
思ったままにいうものだから、おうおうにして手のつけられない大きなだだっ子が「ごんた」(だだをこねる)をいっているようにも受けとられ、辟易させられる場合がないわけでないが、たれでも多少は同じ思いをしているものだから、やはりたやすく同感する。
だから啄木の歌は甘ったるく、また感傷的にすぎるように見えても、人生に対して誠実だ。生きあえぎながら真実を求めて四苦八苦、七転八倒している。それがいいようもなくあわれであるから、いっそう心に沁みるのである。
なおこの歌がひろく愛誦せられ、しきりに朗詠せられたりするのは、今いうような意味もあるからだが、何よりも調べが明朗である、豁達(かったつ)でさえある。「東海の小島の」と大きくほがらかに打ち出したしらべは「蟹とたはむる」の終わりまでかたくもならず弱くもならず、こころよい声のひびきを立てておさまるのである。
啄木の歌は、たといそれがどのように苦しくみじめな生活を歌っていても、暗い感じは少しもしない。かえって明るく、したがっていとわしい思いはしないのである。啄木の歌がひろく愛誦せられる所以の一つは、こういうところにもある。