『あしたのジョー』ちばてつやと梶原一騎の大激論「なぜ力石徹は命を賭してまでジョーと戦うのか」
長谷川 僕自身は相手の死に遭遇した経験はありませんが、東洋タイトルで戦った相手(ジェス・マーカ)が、試合後に開頭手術をした。幸い一命は取り留めましたが、亡くなっていたら自分のボクシング人生が変わったと思いますね。その十字架をジョーに背負わせるのは、漫画とはいえ中々できることではないです。
呉 力石がジョーを倒した直後「勝った」ではなく「おわった」と呟くのも印象的です。自分がやるべきことの全てをやり遂げた。もっと言えば、彼の底知れぬ暗さの背景との闘いもこれで終わったという意味もあるかもしれない。その達成感があの言葉に象徴されているのでしょう。
川 今でこそ漫画の登場人物を、リアルな人間として語るのは普通ですが、それもあれが最初。それだけ人物の心情がリアルに描かれていたからということです。
長谷川 力石の死を悼んで告別式まで行われたのもそのためでしょうね
呉 漫画のキャラクターの葬式自体が前代未聞、まさに社会現象でした。式の企画をしたのは演出家である寺山修司ですが、当時はアングラ演劇が若者文化の中で大きなエネルギーを持っていた。その代表だった寺山が関わったことで文化的にも意義があることだというお墨付きを得られたのです。
川 ただ、力石を死なせるかについては、ちば先生と梶原先生もバーで議論した。「力石を殺すべきだ」「いや、生かしたほうがいい」と語っているのを聞いたバーテンは本当の殺人について喋っていると思ったという話は有名です。議論の末、『ジョー』をより面白くするには、互いが納得して「力石を殺す」という結論に至った。この瞬間、力石は死ぬことが決まったのです。
呉 『ジョー』が描くのは男の生き様。それは梶原一騎のアイデアかもしれないが、ちばさんも同じ気持ちがあった。だからこそ、大事なキャラクターを生かすのか、殺すのかについては議論したのでしょう。殺さない道もあったと思いますが、力石が死んでいなければ、よくあるスポ根もので終わった可能性もある。