【古典俳諧への招待】蚊柱は大鋸屑(おがくず)さそふゆうべ哉 ― 宗因
俳句は、複数の作者が集まって作る連歌・俳諧から派生したものだ。参加者へのあいさつの気持ちを込めて、季節の話題を詠み込んだ「発句(ほっく)」が独立して、17文字の定型詩となった。世界一短い詩・俳句の魅力に迫るべく、1年間にわたってそのオリジンである古典俳諧から、日本の季節感、日本人の原風景を読み解いていく。第36回の季題は「蚊」。
蚊柱は大鋸屑(おがくず)さそふゆうべ哉 宗因
(1673年の作か、『西山宗因蚊柱百句』所収)
蠅(はえ)や蚊など人に嫌われる虫たちも、立派な夏の季題です。宗因の句は、蚊が群れて空中に柱のようになった「蚊柱」を詠んだもの。蚊柱は夏の夕方、家の軒先や道ばた、水辺などあちらこちらで見られます。この句は、直訳すると「蚊柱はおがくずを誘う、夏の夕べだ」となり、何のことやらさっぱり分かりません。
蚊は煙を嫌います。そこで当時は蚊を追い払うために大鋸屑を焚(た)いたのですが、宗因はそれを逆にして「蚊柱が大鋸屑を焚けと催促する夏の夕暮れ時だ」と言っているのです。しかも、「大鋸屑の煙をさそふ」とか「大鋸屑を焚くのをさそふ」とあるべきところを、わざと「煙」とか「焚く」とかいう言葉を抜いて、分かりにくくしました。これを「ぬけ」の技法と言います。まるでクイズのような句ですね。発想も技法も一筋縄ではいきません。
作者の宗因(1605~1682)は当時の風俗を自由に詠んで一世を風靡(ふうび)しました。上品で穏やかなそれまでの俳諧に対して、斬新、難解な句風で革命を起こしたと言えるでしょう。この奇想天外な句を発句(ほっく、連句の最初の句)として作られた百韻(連句の一種で句を百句続けるもの)は、古風と新風の俳人の間に一大論争を引き起こしました。芭蕉にも大きな影響を与え、彼が独自の俳諧を生み出していくきっかけとなったのです。
深沢 了子
聖心女子大学現代教養学部教授。蕪村を中心とした俳諧を研究。1965年横浜市生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。鶴見大学助教授、聖心女子大学准教授を経て現職。著書に『近世中期の上方俳壇』(和泉書院、2001年)。深沢眞二氏との共著に『芭蕉・蕪村 春夏秋冬を詠む 春夏編・秋冬編』(三弥井書店、2016年)、『宗因先生こんにちは:夫婦で「宗因千句」注釈(上)』(和泉書院、2019年)など。