京都は女雛が左?“婚期が遅れる”は本当?「ひな人形」の飾り方をプロが解説
「京人形師 きまた」木股 博人さん●雛人形や五月人形、市松人形など、京人形の結髪を手掛ける「髪付け」を専門に行う工房「京人形師きまた」二代目。京人形髪付を担当。人形の修理、復元も手掛け、頭、手足、着物の修復まで総合的に行う。趣味の日課は、京都御所への散歩。日々、鳥との距離が縮まっているのがうれしいのだとか。
※京人形の工程は細かく分業化されており「頭師」「手足師」「小道具師」「着付師」など各部位を手掛ける多くの専門職によって製作がおこなわれている。
女の子が生まれると、健やかな成長と幸せを祈って、三月三日の桃の節句に初節句として雛人形を飾ってお祝いする美しい習わしが日本にはあります。そして毎年、ひな祭りの日にはお雛様を飾って日々の成長を喜びます。
この習わしの起こりは諸説ありますが、平安時代に公家や宮中では、人形で遊ぶ「雛遊(ひいなあそび)」が盛んで、この大人の貴族のたしなみが子どもたちに広がったといわれています。もともと京都が発祥の雛遊がひな祭りに発展していったようです。
室町時代には、男女一対の人形を贈る風習が始まり、江戸時代には、雛人形はその家の権力を象徴するような嫁入り道具のひとつとなりました。男雛と女雛による内裏雛だけの親王飾りが主流で、一組で家が一軒買えるほど高価なものだったそうです。やがて庶民にも伝わり、段飾りの雛人形や、京都御所の紫宸殿(ししんでん)を模した御殿の中に人形を飾る御殿雛などが作られてきました。
主に京都では、親王飾りが主流で、男雛と女雛の立ち位置が全国とは逆。男雛を向かって右、女雛を向かって左に飾ります。その理由として有力なのは、日本古来の風習では、陽が昇る方向が上座とされ、京都御所を北に見て殿が向かって右(東側)にお座りだったから。全国的に男雛が向かって左という現在の形になった理由は、明治時代に西洋化が進み、大正天皇が即位の礼で、天皇が向かって左、皇后が向かって右に立たれたことから広まったとされています。どちらが正しいということはありません。