日本公開間近!カズオ・イシグロが語る『生きる LIVING』を完璧な形でひらめいた瞬間
カズオ・イシグロの作品がまだ一字たりとも出版されていなかった頃、彼は英国・ギルフォードに暮らす少年で、母親は大好きな日本映画を演じることを趣味としていた。
1960年、イシグロが5歳のとき、一家は長崎から英国へ移住した。当初は海洋学者である父親の研究のため、一時的な滞在を予定していたものの、結果的にそれは長引き、ついには英国が彼らの故郷となっていった。
日本の映画を見られなくなったイシグロの母親は、息子が言うところの「ワンウーマンショー」をするようになった。そして母親が演じた作品のひとつが、巨匠・黒澤明監督の実存主義的な映画『生きる』だった。無気力な公務員が末期がんに冒されていることを知り、自身の人生を意義深いものに変えようとする物語だ。
実際の映画は1シーンも見たことがなかったが、世間のならわしに囚われた主人公が自身の内面化された規範を拒否しはじめるという物語に、イシグロは子供心にも強い共感を覚えた。いまにして思えば、この映画のテーマが自分の世界観を決定づけたのだと思うと、イシグロは言う。
死が不可避である人生の不条理、階級や階層に伴う窮屈さ、自分は人間らしさが乏しいと自覚する語り手が陥る奇妙な悲劇──こうした着想のすべてが、イシグロの小説のなかであたかも万華鏡のように融合し、分裂し、増幅する傾向が見られる。そうした彼の作品群は、現代における最も偉大な小説に数えられている。
2月、私たちがロンドン中心部のホテルでアフタヌーンティーを楽しんだとき、イシグロは自身が脚本を手掛けた映画『生きる LIVING』のプロモーションのために、4ヵ月間で4度目のロサンゼルス訪問から戻ったばかりだった。
本作品は1月にアカデミー賞2部門にノミネートされた。ひとつはイシグロの脚本、もうひとつは主人公ウィリアムズを演じたビル・ナイに対してだ(惜しくも受賞はならなかった)。
この映画は、堅物の公務員であるウィリアムズが末期がんを宣告されたことでストーリーが展開していく。迫力あるサウンドトラックと、明暗が交錯する映像が印象的な『生きる LIVING』は、ある意味、1940年代から50年代にかけてのクラシックなイギリス映画へのオマージュになっている。
だが同時に、村上春樹が「壮大でマクロな語り」、あるいは「素晴らしく独創的な世界観」と呼ぶイシグロの作品群との、テーマ的なつながりも感じさせる。
このような捉え方は、「フランチャイズ化したポップカルチャー」に慣れ親しんだ最近の映画ファンにはお馴染みのものだろう。近年、映画やテレビ番組は互いに連動し、私たちの興味を絶え間なく駆り立てるべく作用しているからだ。
だが、小説をこうした概念で捉えるのは、非常に珍しいことだ。イシグロの作品は互いに参照し合う関係にはなく、登場人物や場所、時代などの設定をほとんど共有していない。それでも、すべてを一緒にすると、各部分の総和以上のものとして機能するのだ。
「私は自分の作品を、すべて同じプロジェクトの一部だと考えています」と、イシグロは言う。「私にとって、そこには連続性があります。それぞれ別のものとして捉えることは、自分にとって無意味なのです」
文学界のスーパースターたちは、かねてより実入りのよい副業に手を出したり、異なる路線に挑戦したりしてきた──ハロルド・ピンターの脚本しかり、ジェズ・バターワースの映画しかり、T・S・エリオットの猫の詩集しかり。だが、その成果が既存の作品群に意外なほど調和することはごく稀である。
『生きる LIVING』は、イシグロの代表作である『日の名残り』、『クララとお日さま』、『私を離さないで』のみならず、初期の作品群や脚本とも密接に結びついている。どの作品も、真に心を尽くして生きることの意味を、それが不可能にしか思えず、失敗が避けられないような状況下で探求しているのだ。