吉野ヶ里遺跡「石棺墓」の線刻「死者の扱い方のヒントになるかも」…佐賀県担当者
重機で石棺墓の石蓋が取り外されたのは午前10時、多くの視線が注がれ、一斉にカメラが向けられた。重大な発見が相次いだ約30年前の調査で現場のリーダーを務めた佐賀城本丸歴史館の七田忠昭館長も作業を見守り、「雰囲気にびっくりし、30年前を思い出した。いい成果をお届けできるよう期待したい」と喜んだ。
山口祥義・佐賀県知事も県庁で取材に応じ、「期待感はさらに高まった。古代のロマンというか、約1800年眠っていた方がどんな方だったのかを皆さんと共有したい」と語った。
石蓋を取り外した後、取材に応じた県文化財保護・活用室の白木原宜室長の主な一問一答は次の通り。
――有力者の墓の可能性が高いとのことだったが、副葬品がある可能性は。
「中の土を掘り下げていく過程でだんだんわかっていくことだが、現状は土がびっしり入っていた。ただ、期待はしている」
――有力者なら周りに溝が見つかることもあるが。
「今は狭い調査区の中で石棺墓が見つかった。周りの状況を見ながら、調査区を広げていくことになると思う」
――石蓋3枚のうち1枚は裏面に線刻があったが、そこから推測できることは。
「線刻が、(被葬者を)封じ込める意味があったとすれば、それが内側に向けているのはどういうことだったのか。それと内側に線刻があるということは、線刻をつけてから蓋をしたことになるので、当時の葬儀のあり方、呪術的なことも含めて死者に対する扱い方を考える上でヒントになるかもしれない」
――今後の日程は。
「まず、今日開けた段階での記録を取る作業の後、中の調査に入るが、1週間くらいはかかると思う。天候にも左右される」