宗像大社:古代の神祭りを21世紀に伝える世界遺産
2017年、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」は国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録された。その価値は、神宿る島・沖ノ島を中心に、古代信仰のカタチを現代まで守り続けてきたことにある。
宗像・沖ノ島における神の考え方は、玄界灘の海と島、そして海浜の特徴的な自然環境を基盤としている。その自然環境の独特な営みに神を感じ、宗像三女神として信仰し祭祀(さいし)を行ってきたが、それは単に九州北部という地域にとどまらず、東アジア情勢や日本列島における古代国家の成立とも密接に関わっていた。
宗像の神々は、日本最古の文献『古事記』(712年成立)と最古の正史『日本書紀』(720年成立)に登場する。『古事記』と『日本書紀』本文では、皇祖神のアマテラスオオミカミと弟のスサノヲノミコトとの間で、互いの所持品を交換し男女の神々を生み分けた際に、スサノヲノミコトの「刀剣」から誕生した、とされる。その神々は、『日本書紀』によると、タゴリヒメノカミ・タギツヒメノカミ・イチキシマヒメノカミの三柱の女神である。この時、アマテラスオオミカミの所持品「玉」からは、後の天皇家につながる男神が誕生している。宗像の女神たちは、『古事記』『日本書紀』(「記紀」)が語る日本神話において、最も重要な場面で登場する。
「記紀」では、三女神は沖津宮(おきつみや=タゴリヒメノカミ)・中津宮(なかつみや=タギツヒメノカミ)・辺津宮(へつみや=イチキシマヒメノカミ)の三宮に鎮座したとされる。沖津宮は陸から遠く離れた玄界灘の沖ノ島、中津宮はその手前の大島、辺津宮は九州本土・釣川(つりかわ)の河口の海浜にある。
沖ノ島は東西約1キロの小島であるが、島中央の最高峰・一ノ岳は標高243.1メートルと高く、白い巨岩が輝いて見える。その姿を遠くの海上からも見通すことができ、日本列島と朝鮮半島との間の海を航海する際、またとない目標となったはずである。また、この沖ノ島には真水が湧いている。現在は神職以外の上陸は許されないが、かつては玄界灘を航行中に貴重な飲み水を得ることができただろう。沖ノ島と中津宮のある大島とを視野に入れれば、他に目標物の無い広い海上で常に自らの位置を確認でき、朝鮮半島と九州本土との間を航行する際、進むべき方向を正確に知ることができる。
これに対して、辺津宮は釣川(つりかわ)の河口部にある。ここには、古代、大きな潟湖(せきこ=ラグーン)が存在したと考えられ、そこに面して辺津宮は鎮座する。まさに、『日本書紀』が「海浜におられる」と表現した景観である。ラグーンは、海と浜堤(海浜の砂の高まり)で区画された波静かな水域であり、海を渡る船舶が停泊するのに最適な地形である。宗像三女神への信仰には、このような島々と海浜の織りなす自然に神の存在を直観し、祭ることでその働きに感謝し航海の安全を願うことがその根底にあった。