『会社法は誰のためにあるのか――人間復興の会社法理』上村達男著 評者:高橋徹【新刊この一冊】
問題意識の根底にあるのは、「会社は株主のもの」「株主価値の最大化こそ経営の目的」というミルトン・フリードマンが提唱した新自由主義的な株主ファーストの思想への嫌悪感と、その思想に何ら疑問を抱かないまま信奉してきた会社法学の通説に対する強烈な批判精神だ。
株式会社が資金を調達する資本市場では、コンピュータを駆使した1万分の1秒で株式売買を繰り返す超高速取引で利益を求める動きが加速し、株主総会では、租税回避地(タックスヘイブン)で設立された無機質な巨大ファンドが「物言う株主」として幅をきかせている。極論を言えば、匿名ファンドの実質的な出資者は、敵対する国家でも反社会的勢力でも構わないわけだ。
このような人間の匂いのしない主体が資本の論理をたてに、日本人の生活基盤を支える経済活動や社会を支配することに対し、著者は「物言う資格のない株主(と称する者)による、人間社会の蹂躙なのではないか」と憤る。
「会社は誰のものか」は、古くて新しい命題だ。欧州でも「会社は株主のもの」という表現は使われるが、欧州の場合、株主の主体は社会の主権者である個人であり、市民主権の延長として「株主主権」が尊重される。単に持ち株数や資金量だけでなく、「株主の属性」を明らかにし、株主であることに伴う社会的責任が求められる。「資金を持ち、株式をたくさん買った人が大株主」と位置づける米国のそれとは意味合いが大きく異なるという。
会社は、人間がより良く生活していくための道具立てであり、会社法もまた、人間の営みである企業活動を規範とする法律である。米国式の株主像を容認したまま、株主価値の最大化を肯定することは、「オレにカネをよこせ株主」を認め、カネによる人間支配を放任することにほかならない、というのが著者の主張だ。人間が主役であることを前提とした法理に転換するため、著者が着目するのが、株主の属性の評価だ。株主権には、財産権(利益配当請求権など)と、広い意味で人間社会のあり方を決める、デモクラシー関与権としての議決権の二つがある。
財産権は、公序良俗に反しない限り対価に見合う処遇を認める一方で、議決権の行使に関しては、個々の議案に応じて、株主に対し、「物言う資格」の有無を厳密に確認する必要があると提言している。具体的には、会社が株主の属性を確認できるといった欧州で普及している制度を創設し、匿名ファンドなどに実質的な株主や、株主行動を予測するため取引履歴を開示させて、人間の関与度の低い株主の議決権行使を排除する仕組みづくりを提唱する。
昨今のファンドに対する買収防衛策発動の是非をめぐる下級審では、不適格な株主を「濫用的買収者」と位置づけ、株主として保護し得ないという司法判断が下されるなど、著者の理論の妥当性が確認されている。
全編を通して、著者が心血を注いできた法律学への深い愛情と、法律は、あくまでも生身の人間のためにあるべきという熱い思いが伝わってくる。
(『中央公論』2022年3月号より)
◆上村達男〔うえむらたつお〕
1948年東京都生まれ。早稲田大学名誉教授。専門は商法、金融商品取引法、資本市場法。『会社法改革――公開株式会社法の構想』『株式会社はどこへ行くのか』(共著)など著書多数。
【評者】
◆高橋徹〔たかはしとおる〕
1965年山形県生まれ。90年読売新聞社入社。経済部次長、静岡支局長などを経て現職。経営学修士(早稲田大学)、日本証券アナリスト協会認定アナリスト(CMA)。