不確かな時代にイヴ・クラインの「非物質性」を改めて考える。「時を超えるイヴ・クラインの想像力」展が開幕
本展は、イヴ・クラインを中心に構成された国内では37年ぶりとなる展覧会。同館館長・長谷川祐子とパリのピノー・コレクションのCEO、エマ・ラヴィーニュの共同企画によって実現されている。
その構想について、長谷川は開幕に際して次のように話す。「いまの時代において、インターネットや戦争、環境危機など様々な不安定な問題が私たちを取り巻いている。そのなかで、戦後の『タブラ・ラサ(白紙)』の状態から立ち上がって、非物質的なものを使ってひとつの精神性を追求していったイヴ・クラインの姿を紹介することによって、皆さんに色々な想像力を新たに再起動していただけたら素晴らしいと思う」。
2020年、ラヴィーニュが当時館長を務めたポンピドゥ・センター・メッスでは、イヴ・クラインと同時代ドイツの「グループ・ゼロ
」、オランダの「ヌル・グループ」、関西の具体美術協会、そしてイタリアの空間主義運動の作家たちとの関係やコラボレーションに焦点を当てた展覧会「スタジオとしての空―イヴ・クラインとその同時代の人々」が開催。同展から着想を得た今回の展覧会では、身体性と物質、空間の関係における「日本的なるもの」の部分を拡大するとともに、現代アーティスト4人の作品も紹介されている。
長谷川はその狙いについて、「それによってイヴ・クラインや戦後のアーティストたちの精神がどのように生かされるかということを現代の問題とあわせて問いたい」と語っている。
本展では、クラインの作品に加え、彼と影響関係にあった同時代のルーチョ・フォンタナやピエロ・マンゾーニをはじめ、草間彌生や白髪一雄などの前衛作家、さらにキムスージャや布施琳太郎を含む現代作家たちによる、60点以上の作品群を展示。クラインの表現活動の核となる色や火、音、空虚など非物質的エレメントをキーワードに、その精神性や現代とのつながりを探求していく。
例えば、最初の展示室「非物質的な金」では、クラインが「精神」としてとらえた金に注目。金箔を使ったモノクロームの作品や、友人でヌーヴォー・レアリスムの作家たちをかたどりして制作したレリーフのほか、この展示室で記録写真のかたちで紹介されている1962年のパフォーマンス《「非物質的絵画的感性領域」の譲渡》は、クライン作品の「非物質性」を表す好例だといえる。
1962年、クラインは「非物質的な領域」(=何もない空間)と金を一定の重量で交換する儀式的なパフォーマンスを行った。コレクターは購入証明書を受け取ってその「儀式」に同意した場合、証明書を焼却し、クラインは金の半分をセーヌ川に投げ込むというものだ。
長谷川は、「ひとつの価値について非常に詩的な問いでありながら、人間の心に深く浸透するようなパフォーマンスだった」と評価しつつ、「金は商売の様々なかたちで扱われているし、また、近年のインターネットやNFTなどの技術的なものにおいてどうやって価値を見出したらいいのかということに対しても、非常に面白いクエスチョンだ」と話している。
次の展示室「身体とアクション」では、IKBを塗布された生身の女性モデルをキャンバス上にかたどったクラインの代表作「人体測定」シリーズが展示。人間の「命」の痕跡を可視化したこのシリーズを、具体作家・白髪一雄の身体を使って描いたアクション・ペインティングと同じ空間に展示することにより、作家同士の創造性が共鳴し合う空間がつくりだされている。
続く「音楽とパフォーマンス」では、クラインが構想した、「ただひとつの音」を引き伸ばした前半と、まったくの沈黙による後半によって構成された単音交響曲を紹介し、クラインにとってのモノクローム絵画と空虚の表裏一体の関係を示す。「火」では、ガスバーナーで燃やした絵画面をすぐに水で消火する「火の絵画」シリーズやその記録映像が展示されており、非物質的な現象の痕跡を残そうとするクラインの一貫した姿勢をうかがうことができる。
クラインは、1952年から約1年半日本に留学し、柔道の黒帯を取得したことでも知られている。本展では、その制作活動に多くのインスピレーションを与えた日本とのつながりが紹介されているのも特徴のひとつだ。
代表作「人体測定」シリーズや空中浮遊のパフォーマンスは、柔道の訓練によって培われた身体感覚がもとになっているといわれるいっぽうで、日本滞在時に広島の原爆の放射熱による人間の残像(「死」の人影)に触発され、人間の身体が残す痕跡への関心を深めたとされている。
また、モノクローム絵画の着想源のひとつには日本で見た金屏風があるとも言われている。イヴ・クラインは事物の具体性やアクションを作品につなげる同時代の具体美術協会の活動に関心を持ち、機関紙『具体』も所有していたという。
「色と空間」の展示室では、具体に参加していた元永定正が色水をビニールチューブに入れ吊るしたインスタレーション《作品(水)》(1955/2022)が、「白と空虚」の展示室では、草間彌生の「無限の網」や白髪富士子、白髪一雄、金山明、今井祝雄などの作品がクラインの作品とともに展示されており、同時代の日本人作家たちに共通したアプローチを知ることができる。また、「イヴ・クラインと日本」コーナーでは、日本滞在時の柔道訓練の写真や映像、親交があった美術評論家の瀬木慎一との書簡などの資料が並ぶ。
現代作家として本展に参加しているのは、キムスージャ、トマス・サラセーノ、布施琳太郎、ハルーン・ミルザの4名。
美術館の四面ガラス張りの「光庭」をプリズムシートで包むキムスージャの《息づかい》(2022)は、自然光がプリズムを通して虹色に変化する作品。展示室の廊下に入り込んだ光は、太陽の動きによって変化し、空間の流動性をつくりだす。物理的なものをつくるのではなく、感性や体験そのものを生み出す点においてはクラインに共通している。
サラセーノは、2021年にフランスのロレーヌ国立バレエ団がクラインの原稿『戦争(La
Guerre)』からインスピレーションを受けて制作・上演した《エア-コンディション》(2021)で映像と舞台美術を担当。クラインのモノクローム絵画や単音交響曲を想起させる映像やミニマルな音楽を通し、その非物質性や空虚への問いは現代のクリエイターたちに引き継がれているともいえる。
布施の《あなたの窓がぼくらの船になる》(2022)は、ウェブサイトを会場に2020年より開催されている展覧会「隔離式濃厚接触室
」で取得されたGoogleストリートビューの静止画をモーフィングさせた映像作品。布施は、「イヴ・クラインは物理的なものを使って、非物質的や精神的なものにアプローチしようとしたのだとして、自分は逆に物理的だと思われていない(オンライン上の)場所のなかに、物質性やマテリアリティを再度蘇らせようとしている」と述べている。
ミルザの《青111》(2022)は、青いLEDライトや音、水の波紋などによって構成されるインスタレーション。展示室内にある3つのスピーカーから音のヴァイブレーションが発生し、ピラミッド型の構造体の上に置かれた水の表面に波紋が生じ、非物質的な音を可視化することを試みる。
なお、同館では「青」を象徴するレアンドロ・エルリッヒのスイミング・プールやタレルの部屋、「無限」を表象するカプーアの部屋も常設されている。本展の鑑賞後、クラインの精神と共鳴するような瞑想的な空間をチェックするのをお忘れなく。
34年という生涯において、彗星のごとく登場し様々な革新的試みに挑戦し続けたイヴ・クライン。彼を中心とする芸術家たちの「非物質性」を志向する創造的探求や、時代を超えて現代の作家たちに与え続ける豊かな想像力をぜひ会場で確かめてほしい。