コロナ禍で一変した「東京の水辺」に集う人々を追った写真家・大西みつぐ〈dot.〉
コロナ禍が始まったとき、こんなに長引くとは、誰が想像しただろう。不要不急の外出自粛が要請され、そのなかで多くの人々が閉塞感を深めた。長年、人と風景を写すことをなりわいとしてきた大西みつぐさんもその1人だった。
大西さんが暮すのは東京東部の南葛西。東京湾に面し、東西を旧江戸川と荒川に挟まれた細長い土地である。
「ここは昔から東京の端っこの、半島の先端部みたいなイメージがあったんです。ところがコロナの時代になって、外出する人もまばらになると、『半島』なんてのんびりしたものじゃなくて、自粛生活で閉じ込められた『孤島』を意識するようになった。気持ちがどんどん暗くなった」
大西さんの最新作「島から NEWCOAST 2020-2022」は、「つらい」気持ちを引きずりながら東京の海辺を歩き、風景と人を写しとった記録である。
「以前のように人がたくさん登場するスナップショットもあるし、突然、ハチが羽ばたいていたり、動物のふんがあったりとか――ちょっとぼくにもよくわからないような自然の成り行きなんです。ある意味、ネイチャーかな、と思っている。ぼくが暮している環境でもありますから」
■見たことない不思議な景観
1952年、東京・深川生まれの大西さん。「チャキチャキっていうか、下町の典型みたいなところ」で育った。そんな大西さんが東京湾岸を「ニューコースト」と名づけ、撮影を始めたのは1980年半ばだった。
83年、千葉県浦安市の巨大な埋め立て地に東京ディズニーランドが開業。さらに東の千葉市幕張では新都心の建設が始まった。時代はバブル景気の真っただ中だった。大西さんが南葛西に引っ越してきたのはそんなころだった。
家のそばには広大な葛西臨海公園が整備され、89年にその一部がオープンした。
「ウオーターフロントっていう言葉がもてはやされて、水辺に親しむような機運が生まれた時期でした」と、大西さんは振り返る。
当初、ニューコーストの撮影は幕張まで足をのばした。しかし、すぐに大西さんの興味は身近な葛西臨海公園周辺に絞られていった。そこには見たこともない不思議な景観が生まれていた。
「人工の砂浜がつくられて、人が集まるようになったんです。家族や若いカップルが多かった。下町で生まれ育ったぼくとしては、それがとても新鮮に見えた」
浜辺のいすに座ってワインで乾杯するテレビのトレンディードラマをまねしたようなカップル。ウオーターフロントという言葉に引かれてやって来たものの、だだっ広い場所で、何をしていいのかわからず、ただぼーっとしている家族。やたら朝から晩までバーベキューをやっているグループ。
「そんなちぐはぐな光景がもう面白くて。みんな何やってんだよ、って思った。あの時代の空気の変化と、人々の行動様式の変化がばっちりそろっていた」