人格なんて、その場における「マジ」の総体...!?
学生のころ、阿佐ヶ谷の喫茶店でアルバイトをしていた。私は家が近かったので店が閉まる深夜2時まで店にいた。というと大変そうだがそうでもない。なぜなら深夜にコーヒーを飲む人はさほどいないから。いつも静かで、青く照らされる店内にはランプの灯りと、信じてない人のクリスマスみたいなイルミネーションと植物と志向性がバラバラないくつかの絵とブランコがあって、そこにいるだけで全部よかった。水槽の中みたいだった。
こんな水槽みたいな場所にものすごくはつらつとした人は来ないし、輪をかけて深夜。いても全身のリビドーを創作の方面に絞り尽くして抜け殻になった漫画家の人くらい。そういう客層に応じてかわからないが、バイトも全員、水槽に生えた苔みたいな人しかおらず侘びている。そういった趣は、しかし突然破られた。闖入者は全身の毛穴から全能感と性欲と殺気と陶酔と激しい渇望とむなしい欠乏がブレンドされた、刺突のような気を発しながら「コーヒー」と言った。コオヒイという耳慣れた音は断裂して空間を裂き、生暖かくておそろしいものが降り注いだ。制服を、洗わなければと思った。
誰がどう見ても「序盤」の感じではない。脳裏は最悪の事態を描いた。アイスピックの先端を真正面から見たときの、受動態の形で現れる殺意のような想像力が私を刺し貫いて、私の想像上の身体に無数の穴ぼこが生じた。そこではじめて客の顔を見ると、フランスの三色旗をブレンドした風合いで人間味がひとつも現れていなかった。
全身のけいれんは、それでも根絶の方面にあこがれて、これはもうほうっておいたら死んでしまうのでないかと思われた。このタイミングでサ店に入り、和みを得る必要がどこにあるのかわからないが、とにかく必死だから喫茶を提供する義務に応じなければいけない気持ちもまた込み上げてきた。ぜんぶが大丈夫ですか。
事件の多さに「ウワー!」となったが、私はこういう時に大げさにウワーとなるタイプではないのでかえって黙ってしまった。もう一人のアルバイトの塩澤さんもこういうときは逆に黙るタイプなので黙ってしまい、全体が急にシーンとした教室みたいになった。
ヤバさと気まずさが同時に押し寄せてくるので私はしょうがなく口火を切った。
塩澤さん、呼びますか。
塩澤さんは、右手で保険会社のCMで見る感じの受話器のハンドサインをつくり、サッと右耳にあてがうジェスチャーをしながら左手で受話器をとった。黙るタイプの割になんだか小手先が器用でうっすらムカついた。そんなショボいムカつきはムヒを塗った直後のかゆみみたいにサァっと引いていくものだが、サァっと引き終わる頃にはもう警察が来た。