現代美術作家・加賀美健のはたらき方、「手書きの日本語」がスタイルになるまで。制作場所も紹介
―子どもの頃から、アートの道にいこうと考えていたんですか?
加賀美:いや、小学生の頃は野球少年で、釣りとかも好きで、いつも外で遊んでは膝から血を出しているような子どもでした。勉強はできないし、いまと変わらず坊主でモテないけど、クラスではいつもふざけてて、運動ができるみたいなキャラでしたね。いまは苦手だけど、蛇とか爬虫類が好きだったんで、将来はアマゾン探検隊になりたいって言ってました。
―アートやファッションはいつから興味を持ったんですか?
加賀美:洋服は小学生のときから好きだったんですよ。お小遣いをもらって近所のイトーヨーカドーに行って、自分で洋服を選んでて。半ズボンとか買ってました。
ー男の子で珍しいですね。
加賀美:珍しいでしょ? 昔から洋服は好きだったから、自分が着たいものじゃなきゃ嫌だったんだよね。それで中学生のときに『抱きしめたい!』(1988年)っていうドラマがはじまったんだけど、浅野温子がスタイリストの役で、もっくん(本木雅弘)がヘアメイクの役だったの。もうバブル全盛期ですよ。それがめちゃくちゃおしゃれで、「なにこの仕事!」って衝撃を受けたんです。
それからスタイリストについて調べていったら、馬場圭介さんのことを知って。ぼくの師匠なんですけど、当時からもっくんの衣装を担当してたの。もっくんが『紅白』に出たときに、お尻が少し見えたスーツにコンドームをネックレスみたいに首に巻いてたりしていて、そのスタイリングを見て「おもしろい!」と思って、将来スタイリストになるために文化服装学院に行きました。
卒業間近に馬場さんにお手紙を出して、アシスタントにつかせてもらうようになった。19歳から25歳まで、6年間くらいついてましたね。
―そのままスタイリストの道には進まなかったんですか?
加賀美:馬場さんの仕事はすごくおもしろくて楽しかったけど、とにかく忙しくて。途中から「もしかしたら自分にスタイリストは向いてないんじゃないか?」って思いはじめたんです。スタイリストの仕事って、ヘアメイクやカメラマンや編集者がいるなかでの仕事が多いし、広告だったら広告主がいる。自分のやりたいことを100%出せるかといったら難しいじゃない。まぁどの職業もそうだと思うけど。
ーそうですね。
加賀美:スタイリストでは自分が思い描いている仕事があまりできないんじゃないかって考えはじめて、もともとアートは好きだったのでアートだったら自分の頭の中を100%表現できるかもしれないと思ったんです。やりたいことが洋服だけじゃ収まらなくなってしまい、アートならそこを払拭できると思い、アートをはじめました。